ヨサヲさん
「農家のみなさんの地に足がついた自然相手の取り組みの『リアリティ』」「東京も京都もない。与謝野があるだけ」の言葉にうなり、本当にそうだと膝を打ちました。
考えてみれば、京都も本来、そんなまちでした。
もちろん、いまの京都への出発点は「江戸末期の荒廃と東京遷都」からの復興なので、当初は「アンチ東京」という意識があったかもしれません。しかし、首都とは違って「単なる一地方都市」の京都の変革は戦後も比較的スローだったし、各分野で活躍するユニークな京都学派の存在も市民に身近で、「東京と比べるのは、もうええわ」「京都はこれが個性やし」と独自路線のリアルなまちで、生活と観光を共存させてきたのです。
それがいつの間にか、このありさま。良くも悪くも、クールジャパン、観光立国キャンペーンに乗って、アクセルを踏み続け、コンサルが描いた幻想を売り物にした結果でしょう。
ヨサヲさんは「だった」と過去形にしてくださっているけれど、コロナ禍にあっても、今週は元立誠小学校跡地に東京の不動産会社が手掛けたホテルがオープンし、中心街の四条通でも、いくつかのホテルが建設中です。どうするんだ!わがふるさとよ。
実は「京都からの撤退」はすでに始まっています。
京都に観光客が押し寄せた数年前から、「外国の有名ブランドの京都出店」がちょっとしたブームでした。中には「近畿ではここだけ」「日本初出店は、京都」といったブランドもあり、「さすが京都」「ステイタス!」と言われたものです。
たとえば、2016年10月に三条通にオープンしたフランス・パリのショコラショップ「ジャン=ポール・エヴァン」もその一つ。ブランドにとって「日本初の路面旗艦店」で、当時の記事には、茶道や和菓子など京都文化を敬愛するという代表の「伝統ある京都でパリの雰囲気を」というコメントも載っています。しかし先日、この店の今月限りの閉店が決まりました。たった4年で撤退です。
もちろんコロナの影響もあるでしょう。しかし、「総合的な判断の結果」という当たり障りのない、しかし、前向き要素のないドライな撤退理由に、私は「京都の求心力、案外なかった」という本音を感じます。エヴァンのある三条通はハイカラな京都の代名詞ですが、実際に歩けば、テナントが撤退した空き店舗も多いことに気づきます。京都はますます、これから試練の時を迎えるでしょう。
京都は本来なら祇園祭の真っ最中です。もちろん神社での祭礼は執行されていますが、大通りに山鉾がない夏の光景は本当にさみしい。
鉾町近くで育った私は、この祭りを過去のいろいろな出来事と紐づけして記憶していることに気づきました。「5年前の祭りの時は何をしていた」「10年前は?」…。祇園祭が、私の人生の読点のような役割を果たしていたのでしょう。
今回はクローズ間近なショップや鉾のない大通りの写真にするのも寂しいので、大丸京都店のフロントに飾られた祇園祭の「大きなミニチュア」を送ります。
祭りの終わりは、疫神社の夏越祭。ことしは茅の輪、くぐらなくちゃ!
ミヤコさん
お仕着せの京都、よくわかります。私もここ20年京都が向かっていたベクトルが、実は東京化であったように思います。最近のホテル建設ラッシュもその象徴の一つだったと。 敢えて、「だった。」と過去形で言わせてもらうのは、この半年の騒動で、それに歯止めがかかった(かかる)のではないかと思うからです。
お仕着せの京都になっている根本原因は、資本経済の行き過ぎと開発手法。特に開発手法は、京都に住んだことない方(住む予定もない方)の手による開発だからではないでしょうか。
「新風館」のコンセプト「East meets West」も???の感じです。西とか東とか大陸や国のグローバルサイズのコンセプトであることが少し変なのではと思ってしまいます。京都は、京都。西も東もなく伝統文化の蓄積が築き上げたスポット。マーケティングという資本主義経済のツールによって開発されること自体がおかしい。それは東京の開発手法です。建物や空間がどんなに京都らしくとも京都じゃない。それは、京都風の東京です。
外の人が期待する「京都らしさ」なんだろうな、とおっしゃるミヤコさんの外の人とは、本当の京都好きじゃないのでは?と思ってしまいます。きっと、本当の京都好きの方は、ミヤコさんと全く同様の違和感を感じるのではないでしょうか。
私もその一人。新風館になんの魅力も感じません。それは東京で体験すればいいのだから。それより南禅寺の裏手から哲学の道あたりの住宅地のなんとも静寂な空間。先日、コンビニやパーキングを探すのに苦労しましたが、これでこそ京都と感じました。
ふと、コロナ禍は世界中を不安に陥れていますが、何か神の警告でもあるかのような気もします。
さて、こちらは今やホップが旬。先日、麒麟も来ました。キリンビールが運営するSVB京都のご一行様です。ホップ摘みの後、みんなでワイワイBQQやっていました。
最近は、メディアの取材依頼も多く、対応に追われていますが、何がこんなに受けているのだろうと考えてます。もちろんホップという日本では少し珍しい取り組みが受けているのでしょうが、根本はホップ農家の皆さんの地に足がついた自然相手の取り組みの「リアリティ」ではないかと思います。ここには、東京も京都もありません。与謝野があるだけです。マーケティング手法というより、一途の物づくりがあるだけです。
ここ10年、日本中の地域に外からコンサルが入りました。結果的に成功事例は数える程です。やはり地域に住んだことのない人、住む予定のない人が考えるのは、机上のマーケティングの結果でしかない。
すべてお仕着せになってしまいます。
せめて京都くらい、このお仕着せを排除し、東京化でなく「京都」であってほしい! 切に望みます。