ミヤコさん
これが最後の書簡です。感慨無量で、言葉にできません。3年間お付き合い頂きありがとうございました。これからは、それぞれの新たな道を歩み、寂しくなったらまた書簡始めましょう。 さよなら、ではなく、またね! お元気で!
読者の皆さん
3年間、ミヤコとヨサオの書簡にお付き合い頂き、ありがとうございました。始めた当初、試みがどこまで続くだろうかと思っていましたが、3年が経ちました。あっという間でした。
なんとかここまで続いたのも、読者の皆さんからの励ましや面白い!の反応を頂いていたからです。みなさんほんとうにありがとうございました。書簡は一旦中止となりますが、企画を変え、また再開したいと考えています。
この3年間のミヤコとヨサオの書簡はアーカイブして、過去を楽しめるようにします。3年前、2年前、1年前の同月に社会や自分の身の回りでどんなことがあったのかを思い起こしながら、楽しんで頂けると幸甚です。
今日までありがとうございました。さよなら、ではなく、またね! お元気で!
ヨサヲさま
京都のまちは桜に彩られてパステル色に匂うようです。円山公園、京都御所、平野神社…名所の桜も素晴らしいですが、いつもの散歩道にある公園や民家の庭など、身近な桜が一生懸命咲いている姿が愛しいですね。
昨年は次々と式典がなくなりましたが、桜の下、今年はよそ行き服のこどもたちやきもの姿の学生を見かけます。春の別れは、晴れやかですが少し切ないですね。
この往復書簡もそう。そして今回が、私からの最後の便りです。
3年間、年末年始を除いて休みなしで書簡を交換した、まずは互いをねぎらいましょう。
そして、私から改めて、ヨサヲさんや与謝野町のみなさま、このコラムを読んでくださっている方々に深く御礼を申し上げます。ありがとうございました。
というのも、フラリと街に出ても案外、何にも気づかない。書簡のネタを探す目的で街を見渡すからこそ、ふるさと京都(市)の変化や流行をキャッチできたと思うのです。
私は生まれ故郷の京都(市)が大好きです。
けれども、書簡を通して見たふるさとの姿は厳しいものがありました。
京都市は近代化に積極的だった進取の精神のあるまち、と言われます。時代とともに姿を変えていくことは必然でしょう。
しかし、ここ数年の変貌ぶりは、「心ここにあらず」の感が否めません。小さなまちが「観光客5000万人 観光消費1兆円」というあり得ない目標を掲げ、やすやすと達成し、さらにアクセルを踏みかけたところに、コロナ禍に見舞われました。
目標を掲げた側は、ここで初めてぎょっとしたようですが、私たち市民はとっくに「もう無理がある」と気づいていたのです。観光客がカラになったまちに残されたのは、「京都っぽい」新店舗、閑古鳥のなくホテル、そして、大通りで堂々と閉めている観光客相手の商店です。京都市民はここにいるというのに、眼中にないかのようです。
これは、やっぱりおかしい。コロナを機に、ここで暮らす人々が主役になるまちをデザインし直さねばなりません。それが、観光客にとっても魅力的な京都になるはずです。
別れの儀式がないと、人は力強く前へと漕ぎ出すことができません。
往復書簡は卒業しますが、私はこれからも与謝野を想います。そして、いとしい風景や人に再会しに、新しい何かを見つけに、与謝野を訪れ続けるでしょう。
別れの次に出会いがやってくるのも、ヨサヲさん、春の喜びですね!