与謝野町観光協会 与謝野日々是

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ヨサヲとミヤコの往復書簡 京都に憧れる与謝野のヨサヲ。与謝野に憧れる京都のミヤコ。往復する2つの想いは、ただの雑感? それとも…。
お仕着せは、東京化だ! 令和2年7月15日

ミヤコさん

 お仕着せの京都、よくわかります。私もここ20年京都が向かっていたベクトルが、実は東京化であったように思います。最近のホテル建設ラッシュもその象徴の一つだったと。 敢えて、「だった。」と過去形で言わせてもらうのは、この半年の騒動で、それに歯止めがかかった(かかる)のではないかと思うからです。
 お仕着せの京都になっている根本原因は、資本経済の行き過ぎと開発手法。特に開発手法は、京都に住んだことない方(住む予定もない方)の手による開発だからではないでしょうか。
 「新風館」のコンセプト「East meets West」も???の感じです。西とか東とか大陸や国のグローバルサイズのコンセプトであることが少し変なのではと思ってしまいます。京都は、京都。西も東もなく伝統文化の蓄積が築き上げたスポット。マーケティングという資本主義経済のツールによって開発されること自体がおかしい。それは東京の開発手法です。建物や空間がどんなに京都らしくとも京都じゃない。それは、京都風の東京です。
 外の人が期待する「京都らしさ」なんだろうな、とおっしゃるミヤコさんの外の人とは、本当の京都好きじゃないのでは?と思ってしまいます。きっと、本当の京都好きの方は、ミヤコさんと全く同様の違和感を感じるのではないでしょうか。
 私もその一人。新風館になんの魅力も感じません。それは東京で体験すればいいのだから。それより南禅寺の裏手から哲学の道あたりの住宅地のなんとも静寂な空間。先日、コンビニやパーキングを探すのに苦労しましたが、これでこそ京都と感じました。
 ふと、コロナ禍は世界中を不安に陥れていますが、何か神の警告でもあるかのような気もします。

 さて、こちらは今やホップが旬。先日、麒麟も来ました。キリンビールが運営するSVB京都のご一行様です。ホップ摘みの後、みんなでワイワイBQQやっていました。
 最近は、メディアの取材依頼も多く、対応に追われていますが、何がこんなに受けているのだろうと考えてます。もちろんホップという日本では少し珍しい取り組みが受けているのでしょうが、根本はホップ農家の皆さんの地に足がついた自然相手の取り組みの「リアリティ」ではないかと思います。ここには、東京も京都もありません。与謝野があるだけです。マーケティング手法というより、一途の物づくりがあるだけです。
 ここ10年、日本中の地域に外からコンサルが入りました。結果的に成功事例は数える程です。やはり地域に住んだことのない人、住む予定のない人が考えるのは、机上のマーケティングの結果でしかない。
 すべてお仕着せになってしまいます。
 せめて京都くらい、このお仕着せを排除し、東京化でなく「京都」であってほしい! 切に望みます。

ヨサヲ
お仕着せの京都は嫌だ! 令和2年7月15日

ヨサヲさま

 与謝野のホップ、世界最速なんですか!「ボジョレーヌーボー、世界に先駆けて日本で解禁」はよく聞く話ですが、与謝野のホップ、カッコいいですね。
 それに、対価なんてまったく不要ですよ。都市部からのホップレンジャーたちは、与謝野のホップ畑にいるだけでたくさんの「贈り物」を受け取っています。畑で労働をして汗を流す経験すら、都会住まいでは滅多に味わえません。加えて、乾杯のカタルシスを夢見ての収穫作業です。素晴らしい!
 私も最近は毎週、近郊の畑に行くのが一番の楽しみです。素人畑ながら、ナスや万願寺とうがらしが豊作です。先週は大きな葉っぱの陰に、こぶし大ほどのかぼちゃやスイカも実も見えて、喜び爆発でした。一方で、虫害でトウモロコシが全滅したり、トマトが鳥についばまれたり。自然の厳しさにも触れています。でも、この経験も次への糧。半泣きで試行錯誤していると教えてくれる人もいて、思いがけない出会いもあります。
そして、ほどよい疲れのなか、ささやかな実りが並ぶ食卓は最高のぜいたく。さらに、日々の食事でも実感をもって農家の人々に感謝する機会になります。都会のホップレンジャーへの与謝野町の恵みも同様です。

それに、ますます勢いづく与謝野ホップの試みは、そもそも与謝野の豊かな大地の力があるからこそ。ヨソの誰かが頭だけで考えた「お仕着せの新名物」ではありません。
 こんなことを言うのは、前回レポートした新映画館が入る京都の新名所「新風館」に出かけて、つくづく、虚しさを感じたからです。

 旧電電公社の近代建築をファサードに生かした施設は新国立競技場で知られる隈研吾さんの「監修」だそうです。地下の映画館をはじめ、1階は物販、2階以上がアジア初進出のエースホテル。コンセプトは「East meets West」らしい。施設の内装は木の柱に、黒基調でゴージャス。中庭には売れっ子アーティストの名和晃平氏の高価そうなオブジェ、金と朱色の幕を張ったある店舗の天井には極彩色の鳳凰…と、さらにゴージャス。おしゃれ度のえらい高い呉服屋、専門店が並んでいます。人も結構いて、にぎわっていました。
 でも、私は「またこれか」と、ため息でした。
これが外から見た、外の人が期待する「京都らしさ」なんだろうな、と。「幻想のおしゃれ京都」「審美眼ある文化都市」。そんな「京都」ばかりのまちに、私はもう、飽きました。

等身大の京都って、もっと庶民的。そして、ある意味土くさい。伝統と現代が混在して、いろんな文化が洗練されぬまま、カオス状態で行ったり来たりしている。その混迷にこそ、生きている実感、息吹を感じるのです。
 観光客増をよいことに、ここ数年、まちに出現した店はおしなべて、きれいなのに、息苦しい。
ずっと住んでいる人たちがいるのに、誰かの京都像を安易に受け入れる私のふるさと・京都はどこに行くのでしょうか。

ミヤコ
与謝野町観光協会 会員企業
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