ミヤコさん
福知山公立大へのエールありがとうございます。一度、ミヤコさんを学生の皆さんに会わせたいです。ミヤコさんから、「今すぐ、この教室飛び出して、自由な発想をしなさい!」と呼び掛けてほしい。そして元気に教室を飛び出す学生の姿を見てみたいです(笑)。
今、読んでいる本「同調圧力」。日本に(だけに)存在する「世間」による日本社会の息苦しさについての、鴻上尚史さんと佐藤直樹さんの対談。日本の「世間」が、欧米の「社会」と区別して述べられています。
鴻上さんは「世間」を「現在および将来、自分に関係がある人たちだけで形成される世界」と定義付けます。佐藤さんは「社会」を「ばらばらの個人から成り立っていて、個人の結びつきが法律で定められているような人間関係」と定義付けます。
特に「世間」は、地方ほど大きくのしかかってきますが、京都も固有の伝統という古いしきたりが多くあるという意味において「社会」ではなく「世間」ですね。
ある意味、大学期間はその「世間」を一切気にせず、自分の思い通りに生きられる期間です。大学という場所自体「個々が立ち止まる自由を持つ」個人の集まりです。大学は、「社会」をかじることもでき、「世間」を無視することもできます。これもとても大事な特権期間です。いやー、学生の皆さんにお話したいなあ。
今、NewsPicksで「ジョブ型雇用」への転換について配信されています。ジョブ型=就職、メンバーシップ型=就社と定義し、コロナ禍で企業がジョブ型の組織に転換しジョブ型人材を集めていることを伝えます。
まさに、働き方が変化してきている仕事環境です。時代は、専門的スキルオリエンテッドな働き方、生き方へ。 そもそも、就職、就職って騒ぐけれど、実は就社ですよね。本当にしっかり身につけたスキルがあれば、会社ではなく職を選ぶわけで。
我々の時代は、就社でよかった。誰もが全く疑わなかった、会社の右肩上がりの成長を約束されていたから。あれから40年。そりゃ、変わりますよね。今や、5年先も誰も予想がつかない時代。会社を信じることなど到底できない時代です。
今までは、「どこの会社にお勤めですか」でしたが、これからは「どんな仕事をされてますか」が当たり前の時代になるような気がします。学生の皆さん、だからこそ、自分が人生を賭けられる好きなことを、今探しましょう!そのために「立ち止まる自由」を使いまくりましょう。
30年も前の1988年、西部セゾングループの求人広告、糸井重里さんの名コピー
「サラリーマンという仕事はありません。」
糸井さんに、時代がようやく追いついてきました。ですよね、ミヤコさん!
地域づくりを学び、自分のふるさとや縮小するニッポンの地方都市の在り方を考えたい。全国から福知山公立大を選んだ学生には、そんな志を感じます。ここに住んで体感し、経験すべてをフィールドワークにして学べるのですから。大都市の総合大学で「地域再生」を座学するより、ずっと貴重です。前例や「当たり前」に縛られず、理想や夢を手放さず、柔らかなココロで未来をデザインしてほしいですね!
立教新座高校の校長先生のお話、ヨサヲさんから伺い、私も心に残っています。
私も大学生と触れ合うことが多いのですが、「これを伝えたい!」と1回入魂で授業を用意して出席を願うものの、いざ若者を前にすると「教室なんかにいないで、外に飛び出してええんよ!」とけしかけています。
私の気に入っているYouTubeの映像に、当時91歳の小説家・瀬戸内寂聴さんがSEALDsの集会で大勢の若者に向かって演説する6年前の記録があります。そこで彼女は「若者とは恋と革命よ!」と語るのです。曰く「恋をして人を知り、深くなる。理想を掲げて社会を変える。それが若者の特権なの」。そして、「親の言うことなんて聞かず、好きなことやりなさい。みなさんは幸せになるために生まれてきた。そして、隣の人も幸せに」とも励まします。私は毎年、学生と一緒にこの映像を見るのですが、みんな聞き入り、そして、晴れやかに教室を出ていきます。その姿に、エールを送らずにはおれません。
学生をめぐる環境は、コロナ禍で一変しました。
後期からは対面とリモートのハイブリッド型で授業を再開し、構内の消毒用アルコール設置や三密を避けた座席指定はもちろん、階段も一方通行にする(写真)念の入れようなのですが、久しぶりに会って無邪気に華やぐ笑顔の一方で、苦しんでいる若者も少なからずいるようです。
立命館大学新聞が夏に実施した調査で、1400人以上の有効回答のうち、2・3%が退学を本格検討、9・8%が視野にいれ、休学に至っては25%以上が考えている、と答えています。
近年、国公私立を問わず学費は高騰し、逆に仕送り額は減少の一途で、学生は貧困化しているといわれます。実に全体の49%の学生が何らかの奨学金を受けていますが、日本ではその7割以上が利子のある貸付型。卒業時には300万円前後の借金を背負って、社会人生活をスタートさせねばなりません。
もちろん遠隔授業にもじっくり学べる利点があります。しかし、苦労して大学生活を送っているのに、リアルな授業や課外活動もない、図書館など施設も使えない。 「いっそ辞めようか」と思うのも無理はありません。
大学の4年間は、ある意味モラトリアム。人生において本当に貴重な時間です。彼ら自身には責任のない経済的な事情で断念するとしたら本当に残念です。
与謝野町はコロナ禍でふるさと学生を支援されましたね。ぜひ息長く学生に寄り添ってあげてくださいね。
多くの大学が点在する京都市も動きは鈍い感じ。こんな時こそ厚く細やかな学生支援を練らないと、「大学都市」の看板を下ろさねばならないでしょうね。