ヨサヲさま
ヨサヲさんの感じておられるZOOMの印象。私もリモート会議や動画配信の取り組みに触れて、新しい気づきがありました。「ハンコ文化」とか「顔合わせ会議」の見直しにつながったのは大成果!一方で、何だか手応えがスカスカしているな、とも。
たとえば、「今夜はコンサート!」とします。配信なら、直前にパソコンの前に座れば準備完了。
一方、リアルでは結構時間がかかります。電車に揺られ、駅から歩く人の波に揉まれ、横付けしたツアートラックが見えて、爆音が漏れ聞こえ・・。でも、そんな前段階も含めたすべてが「コンサートに行く」でした。ライブハウス好きの友人は「あんなに嫌だった会場のタバコ臭さや、もみくちゃにされる感じも懐かしい」と言います。行き帰りの邪魔臭さも、ライブハウスのもみくちゃ環境も、「嫌なこと」のはず。でも、今思えばその不快さも含めて、記憶に刻まれているようです。
学校も同じですよね。振り返れば、先生との関係より、教室で過ごした友達との時間が大事でした。もちろん、ZOOMで授業もグループミーティングもできます。けれど、ヨサヲさんの指摘通り、繊細な感情は読み取れない上、夕陽に照らされる放課後の教室や、つるんで帰る通学路もありません。リモートで不登校のこどもたちが授業参加している、というグッドニュースもありました。でも、やっぱり、こどもたちにも「リアルに揉まれて」ほしいなあ。
今回のコロナ禍で、みんながリモートを経験して、ある意味よかったです。
だって、リモートという名の「どこでもドア」って、「便利なようで、案外つまらん」とわかったから。経験しなければ、「将来は全部ZOOMで済むやん」と思っていたかもしれません。
第2波への危険もはらみつつ、まちは徐々に通常営業へとシフトしています。京都市内でも観光施設が、まずは地元の市民・府民を対象に慣らし運転です。
京都市観光協会のホームページをみると、「京都の文化やおいしい料理を楽しむ絶好の機会。ENJOY IN KYOTO」と地元住民に向けて宣伝しています。写真は西京区のキャラクターたけにょん。かわいく、けなげにマイクロツーリズムを呼び掛けています。
でもね、私、京都市のこの姿勢に、ちょっとムカッとしたんです。
だって、コロナ禍でなくても、ふるさとはまず、そこに住む人が幸せで、楽しむためにあるべきでは?観光優先で地元の生活を顧みなかった京都市に「いまのうちに、どうぞ」と言われてもねえ。
往復書簡では、「マイクロなんたら」という言葉が躍る以前から「地元の宝の再発見こそ、観光だ」と掲げてきました。私たちの方が、先見の明あり!ですよね。
ミヤコさん
6月になりました。大イベント目白押しと気分一新で迎えた2020年の幕開けから、はや半年近くなるのですね。この半年、コロナ一色でした。先日、元旦に誓った「今年はやるぞ!」の思いをあらためて読み直したら、まだ何もできていないことに気づかされました。ぜーんぶコロナのせいにしていました。また、昨年の5月6月のスケジュールを見たら、けっこう精力的にあちこち視察に会議に参加してました。
すっかり引きこもってオンライン会話に慣れてしまい、動かないこと(体も頭も)を良しとしてしまっている自分がいます。これでいいのか、自分!と非常事態宣言が解除された際に、あらためて奮起した次第です。
最近は、夏を感じさせるような日もあります。町を囲む山々も新緑のエネルギーを放ちます。田植えも終わり、成長が楽しみな苗の姿が一面を覆ってきました。自然は、コロナ禍なんかまったくお構いなく、いつもの5月6月の表情です。つくづく自然の強さを感じます。
最近、友人とZOOM会議の良し悪しについて会話したのですが(ZOOMで)、時間的な効率性は向上したものの、特にビジネスのディール場面では、実のところ使えないのではないかという結論に達しました。やはり直接表情やしぐさを観察しながら、「よろしく」「YES」の言葉裏に隠れている「じゃない」「NO」を探し出すとか、「今度」の言葉の裏にある「二度と・・」の感情などを汲み取る決定的ビジネスシーンでは、ZOOMでは無理だなという結論です。
そもそも、そのビジネスシーンで支障をきたさないように、日々直接会い会話し相互の理解を深めるのが大事な仕事でもあったわけで。そしてそれをスキルとして経験としてため込んでいたわけで。
ZOOM会議だと、この辺が完全に端折られますね。
それこそ何億というビジネス機会が今後どのようにして決定されていくのか、想像ができません。
まあ平成の、いや昭和の営業と言われればそれまでですが。この変化を受け入れ、対応できなければ自分の先もないわけで。ほんと、大変な時代になりました。
新常識、新生活に慣れるということは、過去のスキルや経験を捨て去っていくことなんだとつくづく感じる毎日です。