ミヤコさん
8月も終盤になりましたね。もう秋も近い。けれどコロナ禍は続きます。
先日東京の友人からこんなメールが届きました。
高田馬場の飲食店がばたばた閉店になっている。その一番の原因は、早稲田大学生が来店しないこと。 そもそも早稲田大は新学期を迎えながらも入学式も行わず、以来キャンパス閉鎖状態(一部は解放されているものの本来のキャンパス状態ではない)が続いている。特に高田馬場は早大生のたまり場、サークルの打ち上げやコンパで利用客は圧倒的に早大生、そしてその関連の学生仲間や社会人。
自粛規制が解除されたところで、早大キャンパスが完全解放されない限り店は閑散としたまま。高田馬場がやばい。自分が学生の頃通った店も閉店。時代とともに新しい早大生を迎えて今日まで続いていた店が、こんなことで無くなるなんて。いやー思い出がコロナで失われていく。
高田馬場駅周辺は、早大生のたまり場で有名です。駅周辺は、ほぼ学生で溢れている場所。何度か行きましたが、学生相手の安くておいしい店が軒を連ねる、ある意味特徴的な場所です。
それが・・・。私もとてもびっくりしています。
早稲田大学在籍者数は52,000人。先生、大学関係職員さらには周辺の大学生を合わせると中堅都市並みのエリア。これが消えているわけですから、それはそれは深刻な問題です。
早稲田大学周辺の店は、どうやらOBたちが日参し応援している模様。痛々しい現実です。
この話は、早稲田大学だけにとどまらず、きっと日本中の大学の状態です。
この夏を過ぎると秋期が始まります。これからどうなっていくのだろう?ZOOMでしか会ってない仲間、先生との関係ってどうなるんだろう?そもそもサークル活動は?そして最大のお祭りである学祭は?
考え始めると想像つかないことばかり。
このコロナ禍は、実体経済の破壊だけでなく、未来を担う若者たちの健全な成長を妨げています。これこそ大打撃なことではないかと感じるこの頃です。
自身の遠い日の大学生活を振り返り、あれだけ怠け者で勉強嫌いだった自身ではありますが、キャンパスは大好きだった。授業をさぼってキャンパスで仲間と屯している時間がなんとも心地よかった。
社会で生きる術を学んだのは、授業ではなくキャンパス空間や時間だったとあらためて思います。
いやー、なんとかならないのか、この状況!
ヨサヲさま
与謝野ホップのクラフトビール、発売おめでとうございます。
到着を心待ちにする「ワクワク感」、そして、ぐいぐいと喉で味わう「高揚感」って、ビールが大地の恵みに直結しているからだと思います。与謝野の大地と美しい水がはぐくんだホップ。それは、「種を蒔けば、ハイ完成」ではありません。ホップ農家やレンジャーが汗を流して世話をして、そして、誇りをもって送り出すからこそ、与謝野のビールは「幸せな味」がするのでしょう。
消費者は、敏感です。栄養はもちろん、そんな地域の思いが込められた愛ある食品が、味わいたい。たとえ現地を訪れられずとも、その大地の風を感じたい。ビールは里の恵みの粋なおすそ分け、与謝野からの爽快なプレゼントです。
私がそう思うのは、春から畑に通って、野菜を育てたからでしょう。
たとえばスイカ。4月の終わり、欲張っていくつものスイカの苗をせっせと植えていると、周囲のベテランから「ひと苗で畳2畳分は要るよ」と言われてびっくり。植え直し、ワラでツルの道を作り、花が咲けば受粉させ、小さな実が成れば、下にクッションを敷き…と懸命にお世話。半分は鳥に食べられ、急いで柵を作って網をかけ…。素人ながら、こどもを育てるようにスイカを見守り、そして、ついにお盆前に収穫しました。
中から現れた真っ赤な果実に、「なんて大地は偉大なんだ!」と仲間と感涙。一緒に収穫したナスや万願寺とうがらしとともに、初盆のお仏壇に供えると、とても豊かな気持ちになれました。
農作物や、ビールなどの加工品って、誰かの時間と手間もいただいているんだな、と改めて気づいた、コロナの夏でした。今回の写真は都会っぽくなくて、申し訳ありません。「京都のいとはん」が初チャレンジしたスイカです。写真に塩を振って、どうぞお召し上がりくださいね。
さて、コロナで仕事も普段の暮らしもオロオロ試行錯誤しているうちに、今年のお盆も暮れていきました。6カ所のみ点火の「大文字の送り火」。星座のように心の中で点を結び、ベランダや玄関先から静かに見守る方が多かったようです。
もともと、彼岸へ帰る亡き人を送る鎮魂の行事です。ことしはコロナで、満足な別れ方ができなかった方も多いことでしょう。送り火を担う五山の保存会の人々も、そんな方々に思いをはせて、焚き上げられたようです。
漆黒の闇に炎は大きく揺れて、そして、ゆっくりと消えていきました。
観光客にもみくちゃにされて見る例年よりも、本来の向き合い方ができたような。心にしみる夏の終わりです。