ヨサヲさま
マイクロツーリズム、大賛成です!
実は、そのためにも京都の寺院も開けてほしいな、と思っているんです。たとえば、「金閣寺行ったことない」は「京都人あるある」のはず。私も、絶好の散歩ルートである上賀茂神社や下鴨神社あたりには親しみがありますが、ちょっと離れた東福寺や金閣寺、天龍寺となると、訪ねたのは社会人になってから。「いつでも行ける」うえ、「観光客でいっぱいだ」との敬遠もありました。「越境自粛」というなら、地元の人たちこそ、ふるさとのいいトコを味わう良い機会です。
京都市内ですらこんな具合なので、府内全域に広げると、「未踏の地」だらけのはず。冗談抜きで「京都に海がある」のを、京都市民は実感がないのでは?と思います。
家族や友人どうしで海水浴に行ったり、カニを食べた思い出はあるかもしれません。しかし、そんな「スポット観光」にとどまらない素晴らしい歴史や風景、人々の営みが丹後地方にはあります。遠くから人を招くのもいいけれど、まずは府民が京都の奥深さや豊かさを知らないともったいないです。
いまは高速道路で、または、特急に乗れば1時間半程度で丹後入りです。越境せずとも、発見と体験の旅が始められます。
私も恥ずかしながら、社会人になるまで、京都府内で亀岡以北、宇治以南の地域は、それぞれ日本海へ、奈良へ行くための通過のみ。目的を持って、下車した経験がありませんでした。
社会人になって、亀岡と福知山、奈良に近い山城地域にそれぞれ仕事で赴任して、はじめて「本当の京都」への眼が開いた気がします。歩いて、見て、食べてまちを堪能するとともに、人と知り合う喜びも得ることができました。ヨサヲさんとも会えました!
京都市以外の場所とのつながりは、「観光」ばかりではありません。
私は亀岡で小さな農園を友人と借りています。都市部で借りるよりもずっと手軽でした。
連休には、畑にトマトやナス、スイカ、トウモロコシ、エダマメなどを少しずつ植えました。根付くまでは水やりを丁寧に、と教えられて、友人と交代で畑に出掛けています。
行きは田植えを終えた美しい田んぼを眺め、作業後は産直所で野菜を買ったり、精米したり、京都市内とはちょっと違うスーパーの品揃えをチェックするのも楽しみです。これもきっと、マイクロツーリズムですよね!
身近な魅力を再発見するマイクロツーリズムというリアル。テレワーク疲れの「いびつな心」にも即効間違いなしです。
ミヤコさん
連休も後半、穏やかな日が続いています。
昨日、「非常事態宣言」の延長が発表されました。毎日コロナ禍情報でへきへきしてますが、医療の現場や国や府県、市町関係者の皆さんも休む間もなく大変なGWのことと察します。もちろん休業を余儀なくされている事業者のみなさんも。この延長に関する論議も絶えません。立場違えば、発言は千差万別です。正直、私も何とも言えません。新型コロナウイルスの怖さは、死ですが、経済が止まり事業が立ち行かなくなるもの死ですから。
まだまだ、コロナ禍のど真ん中ではありますが、先日、星野リゾートの星野代表のアフターコロナの観光産業についてのディスカションが非常に興味深く参考になりました。星野代表が提唱するのは、マイクロツーリズムです。
マイクロツーリズムとは、近場観光のこと。1,2時間、30分、10分圏の観光。観光というより発見といったほうがいいかもしれません。今でこそ(と行っても、3年前)、観光といえば、インバウンド、グローバル観光が際立ってますが、そもそも過去からマイクロツーリズムは盛んだったと星野代表は言います。
例えば、軽井沢は多くの長野県民が訪れる観光地、津軽は青森県民が訪れると。県民が観光と合わせて自分の県の再発見や学習を兼ねて出かけます。その例で言えば、丹後は京都市民の方が訪れることになります。
私はこの星野代表の考えに賛同します。
併せて、昨今の観光地他府県ナンバー排他騒動。個人的には、何もここまでと思いますが、観光地周辺に住んでる方にとっては、これもまさに死活問題なのでしょう。じゃあ同じ県のナンバーなら良いのかということになりますが、そこはあえて追及はしません。(この地域で言えば、隣の兵庫県但東町からなら10分で、京都市から2時間半。一山超えたところに位置する但東町はまったくここと同じ環境です。)要は日本中で府県単位の各々の政策になっているので、プリフェクチャー(prefecture)イズムみたいな考えが芽生えているのではないかと思うのです。
となると星野代表の府県単位のツーリズムにさらに説得性が増すのではないかと。自身のプリフェクチャ―を知ろう的な観光の考え方。
5月中旬からは、コロナ禍が落ち着きを見せ、アフターコロナの具体にステージが変わることを祈りつつ、連休中に次の準備をしたいと思います。