与謝野町観光協会 与謝野日々是

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ヨサヲとミヤコの往復書簡 京都に憧れる与謝野のヨサヲ。与謝野に憧れる京都のミヤコ。往復する2つの想いは、ただの雑感? それとも…。
多様性、リアルな時代 令和元年12月11日
ミヤコさま  「においは、景観か否か」論争。「撮影禁止」でも驚いていたのに、さらに!!! 焼き鳥の匂いはだめでも、お茶の匂いは良し?とか、なら珈琲の香りはどうなんだとか。増々、エスカレートしそうですね。結局、五感が感じ取るすべてが「観光コンテンツ」なのでしょうか。わからんでもないけどなあ。ここまでくると「観光とはなにか」の根本的な話になりますね。ITの業界と同じく、ルールが現実に追いついていない状況、たいへんだあ。  さて、京都の「日本」な論議とは打って変わって、「多様性」を感じたことを。 先日、出張で東京に行きました。東京はクリスマスムード一色。どのショップも赤・緑・金のカラーで空間を演出していました。元をたどれば宗教的行事(?)も、今や冬の風物詩となり、町を行き交うインバウンドの皆さんも、世界共通行事の空間のなかでとても自然に見えました。  今回の出張は、シーラ・クリフさんとの打合せ。着物に関する打合せのため、初めてジーラさんのご自宅に伺うことになりました。ご自宅は、都内から私鉄で15分程の住宅街の一角。家に入り、着物を並べての2時間半の打合せの後、「今から、子供や友人たちが集まり、ちょっとしたクリスマスパーティするから、一緒にどうぞ。」と誘われ、そのまま居残る羽目に。その後、みなさんが集まり始め、十数人でのパーティーが始まりました。そこには、20-60歳の各世代の男女が集まり、国籍も台湾、タイ、イギリス、プエルトリコ、アメリカ、・・・。生粋の日本人は、3名だけ。ほとんどの方が、2か国、3か国語を話され、急に日本語が英語に変わったりする会話を聞いているだけでも面白くて。  ファッションもシーラさんの着物姿をはじめ、お国のファッションの方もいればスエット上下の方も。職業も、カメラマン、デザイナー、会社員、無職など様々。食事・ドリンクは、もっぱら多国籍料理。(各人が自主的に持参するので、お国の特性がでるのです。)よって、家の中は、カオス状態。  まさに、多様性(ダイバーシティ)な空間と時間でした。  そもそも、シーラさん自身がダイバーシティなお方。イギリス人なのに着物好き。シニア(?)なのに、若くてスタイリッシュ。着物姿は、誰もが知っている通りです。  ここ2か月、オフィスで悶々と「ダイバーシティな時代について・・」」考えていましたが、この機会ですべて吹っ飛びました。  多様性とは、思考より行動。認識より実感。頭ではなく体で感じる、リアルです。  時代は、リアル。
ヨサヲ
煙やにおいが止まったとしても。変わる京の風情 令和元年12月11日

ヨサヲさま

 俳句はいま、ブームですよね。
 私も毎週、木曜夜のバラエティ番組『プレバト』を楽しみにしています。お題写真をもとに詠んだ句を俳人の夏井なつきさんが見事に添削していくのが気持ちいい!番組は毎夏、俳句甲子園で高校生と芸能人の対決を放映していますが、ぜひ、与謝野でもあるといいのに!
 写真で場面を想像して創作するのもいいけれど、はやり俳句の醍醐味は吟行にあり。
 蕪村、与謝野夫妻が足を運んだのも、与謝野の風景に身体を包まれてこそ生まれる作品に力があるのだと確信していたに違いありません。

 詩歌つながりで京都市内から話題をひとつ。

 「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕のしたを水のながるる」
鉄幹の友でもあり、祇園を愛した歌人・吉井勇の代表作です。勇をはじめ、夏目漱石や谷崎潤一郎がひいきにした名物芸妓で知られる茶屋「大友」跡地に歌碑があり、毎年11月、祇園甲部の芸舞妓が歌碑に白菊を供える「かにかくに祭」も有名です。
 この祇園新橋(京都市東山区)でいま、「においは、景観か否か」を巡り、論争が起きています。
 煙とにおいを出しているのは、今春に大阪から初出店した高級焼き鳥店。地元の協議会は「外観だけではなく、空気感も風情だ」と主張し、店側は「脱臭機はコストがかかる」と難色を示しているのです。

 白川添いの石畳道一帯は国の重要伝統的建造物保存地区でもあり、「撮影1万円」の立て札が建つ花見小路とともに、祇園の人気スポット。小料理屋やスナックが立ち並ぶ飲屋街と隣接しているとはいえ、「かにかくに」の良き時代を彷彿とさせる風情のあるエリアです。
 確かに、ひとりの京都人として、煙やにおいは似合わない、とは思います。
 でもなあ、外観は格子に二階簾の伝統的な町家ながら、千枚漬けバーガーのある「ハードロックカフェ」あり、結婚式場の京都支店あり、と内容はかなり変遷しています。
 実は、勇の歩いた時代は土道で石畳ではなかったらしい。いまでは「伝統的で美しい」「京都らしい」と言われる景観さえ、後付けの面もあるのです。
 においが止まったところで、ヨサヲさんやお友達のおっしゃる通り、勇が愛した京の真の風情はすでに記憶の中にしかないのでしょう。

 変わるふるさとに嘆息しつつ、帰路、顔見世のまねきが上がった南座に、やっぱり心が染みました。昔から変わらぬ師走の京の写真を贈りますね。

ミヤコ
与謝野町観光協会 会員企業
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