木造2階建て入母屋造り桟瓦葺きの洋館。大正6年頃、当地域では初の西洋医学の診療所として地域に貢献し、町の近代化の証として貴重な遺産であると同時に、ちりめん街道の町並みの中にあって景観を構成する重要な建築物となっています。
当時の加悦町には漢方の医師しかいなかったため、洋学を学んだ医者を但馬から招いて建てたといわれています。建物の特徴はやはり、玄関に漆喰で造られたレリーフです。このレリーフは加悦の左官職人・萬吉が、神戸の洋館建築で修業の後の大正6(1917)年、施工したと伝えられており、明らかに古代のギリシャやローマ建築の神殿などに見られる柱頭飾りやレリーフを範にした洋風意匠です。
漆喰のレリーフ
加悦の左官職人「萬吉」の手によるもの。同氏は左官職人として加悦小学校の旧講堂などの仕事を手がけた人物で、若い頃に神戸で修行をしています。当時の神戸は外国人建築家も多く、その中で洋風のデザインに影響を受けたのではないかと言われています。
外観の意匠とガラス
2階の外壁は白漆喰塗りで柱をすべて見せる真壁の構造。それに対して1階は横板張りで隅柱のみ化粧で見せ、腰壁部分は板の堅張りとなっており、外観の意匠に変化がつけられています。また、現在では珍しい手作りのガラスが当時のまま残っています。
長い年月を耐えた松
建物の前には大変立派な松があります。どれだけの年数が経っているのかは定かではありませんが、推定では建物の建築と同時期、100年近くの長い年月を耐え、震災も乗り越えてきたのではないかと考えられています。