ちりめん街道 重要伝統的建造物群保存地区【京都府・与謝野町加悦】

丹後ちりめんと共に生きた町 重伝建 ちりめん街道

伍 ちりめん街道の歴史

城下町から物流の拠点へ

ちりめん街道のある与謝野町加悦地区は、かつて城下町でした。織田信長により丹後を与えられた細川幽斎の重臣、有吉立言(有吉将監)は、天正8年(1580年)から安良城の築城を開始し、城下町として加悦を整備したと伝えられています。しかし有吉立言は天正11年に病死してしまい、城下町として機能していたのはわずか3年足らずでした。

ちりめん街道周辺には社寺が集中しているという特徴があります。それも有吉氏の政治権力によって、城を防御するための寺町を構成させたとみられており、堀の役目をした加悦奥川と野田川と合わせて安良城の防御態勢を整えたと言われています。また現在のちりめん街道はクランク型に折れ曲がっており、街道と呼ぶには一見奇妙です。これも、道を曲げることによって敵の侵入を容易させない目的があったと言われています。

城下町の役目を終え、残った寺町はそれ以降、徐々に役割を変えていきます。加悦は丹後と京都を結ぶ交通の要所ということもあって、加悦谷の商工業の中心地として発展していきました。そして、前述の丹後ちりめんによる隆盛の時代へとつながっていきます。そこには生糸と丹後ちりめん商家という、今日のちりめん街道を語る上で重要なキーワードがありました。

これらの時代を経て、ちりめん街道は現在のような歴史的な建造物群となりました。現在立ち並ぶ建物約260棟のうち、約120棟が、江戸・明治・大正・昭和初期のものです。

クランク型の街道

クランク型の街道

有吉立言が城下町を築いた際、敵が容易に侵入できないよう、この地割にしたと伝えられている。

8丁撚糸機

大正〜昭和初期のもので、ちりめんの糸に撚り(より)をかける機械。

加悦伝統的建造物群保存地区 歴史の歩み
時代 建 物 ちりめん織りに関する事象 加悦地域の歴史事象
中世         丹後精好(絹織)による大口織  
戦国時代
(16世紀頃)
          『丹後国御檀家帳』(一色氏の家臣による支配)
江戸時代:初期
天正年間
          有吉立言 安良城を築城、加悦を地割り整備
江戸時代:中期         享保7年(1722)ちりめん織りの技術が加悦に伝わる 享保4年(1719)有吉氏の菩提寺熊本峯雲院から天寧来訪、安良城下に館や屋敷も残る。
江戸時代:後期 下村隆夫
・欣也家
主屋 文化元年 1804
旧尾藤家住宅 主屋 文久3年 1863    
吉岡達雄家 主屋 慶応4年 1868    
杉本 芳家 主屋 嘉永年間 19C中頃    
時代 建 物 ちりめん織りに関する事象 加悦地域の歴史事象
明治時代 岡田明男家 主屋 明治前期     明治7年(1874)加悦(藤田伊助宅)に初めて郵便局が置かれる
八木末男家 主屋 明治20年 1887   明治20年(1887)下之町に火事、8軒焼失
松村卓嗣家 主屋 明治21年 1888   明治20年初めて電信事業が開始される
濱見俊一家 主屋 明治21年 1888    
佐々木高通家 主屋 明治22年 1889   明治19年(1886)尾藤庄蔵が柏原銀行(支店)を下村五郎助家へ誘致
細見美智子家 主屋 明治24年 1891   明治23年~27年下村與七郎宅に郵便局明治28年~杉本利右衛門宅に郵便局
杉本 啓輔家 主屋 明治26年 1893 明治27年(1894)西山第1工場建設 職工20名丹後最大の丹後ちりめん工場稼動
渋谷英雄家 主屋 明治30年 1897 明治29年(1896)加悦銀行株式会社が設立
下村哲人家 主屋 明治37年 1904 明治33年(1900)パリ万博、36年内国勧業博覧会多くの縮緬(丹後ちりめん含む)が出品(ジャガードの普及と紋紙の使用による技術革新) 明治37年(1904)日露戦争勃発
旧小西美代子家 主屋 明治年間    
井上尋彰家 主屋 明治年間   明治37年(1904)西山第2工場増設 職工40名明治41年(1908)西山第3工場増設ドイツ・オットー社製発動機とスイス製の力織機を導入(丹後で初めての動力による縮緬製織始まる)  
細川充子家 主屋 明治年間    
杉本和繁家 主屋 明治末   明治43年(1910)丹後電気株式会社を設立(杉本利右衛門)
        明治44年(1911)天満神社に電灯の明かりが点る
時代 建 物 ちりめん織りに関する事象 加悦地域の歴史事象
大正時代 伊藤医院 医院 大正6年 1917 西山工場:大正6年(1917) 職工112名(丹後最大の縮緬工場)
杉本成史家 主屋 大正6年以降    
尾藤善直家 主屋 大正9年 1920 大正9年(1920)~丹後産業銀行加悦営業所が置かれる(現、谷田久典家)
藤田文江家 物置 大正12年 1923 大正10年(1921)丹後縮緬同業組合の設立
今田逸雄家 主屋 大正13年 1924   大正8年(1919)~現在の加悦地区公民館の場所に加悦郵便局を設置(建物は、現在同地区内で移転され利用されている)
藤田 徹家(大橋デパート) 主屋 大正15年 1926  
羽賀恒夫家  主屋 大正年間     大正15年(1926)加悦鉄道株式会社が設立され、12月に加悦駅と丹後山田駅を結ぶ一番列車が走った。
下村哲人家(街道向) 離れ 大正年間      
丸田美千子家 主屋 大正年間      
吉田悦子家 主屋 大正年間      
赤西 昭家 主屋 大正年間      
花野ひとみ家 主屋 大正年間      
安田三夫家 主屋 大正年間      
竹内 修家 主屋 大正末      
時代 建 物 ちりめん織りに関する事象 加悦地域の歴史事象
昭和時代           昭和2年(1927)3月北丹後地震M7.3
加悦町役場庁舎   昭和5年 1930   尾藤庄蔵は、丹後大震災の復興のシンボルとなるよう加悦町役場庁舎を建設
井筒屋旅館   昭和8年 1933  
川嶋輝子家   昭和9年 1934    
        昭和10年代 戦前の丹後縮緬全盛期 昭和9年天神橋に架橋、役場への道を新設
        昭和40年代 戦後の着物ブーム  
        昭和48年 加悦町 織物生産量 縮緬307万反、紋織物689万反 昭和60年加悦鉄道が廃線となる
        昭和49年 加悦町 織物関係の事業所数1230、機4506台
平成         平成13年 加悦町 織物生産量 縮緬41万反、紋織物82万反
        平成13年 加悦町 織物関係の事業所数314、機1144台
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