与謝野町観光協会 与謝野日々是

一社)京都府北部地域連携都市圏振興社
与謝野地域本部与謝野町観光協会

エリア: 与謝野町

シーラの着物コラムにようこそ

はじめまして。私はシーラ・クリフと言います。
与謝野の観光サイトで新しく始まったコラムへの初投稿となります。

私の着物への愛を読者の皆さまと共有するとともに、着物にまつわる物語や気付きの数々をお伝えしていく中で「和装についてもっと知りたい」という気持ちになっていただければ幸いです。

丹後地域は、数百年間にわたり日本の織物産業や着物産業の中心地の一つを担ってきました。このサイトでコラムを掲載するのはそうした理由があるからです。

丹後地域の歴史は、糸や織物、染め物、シルク、着物と共に歩んできた歴史です。私は生まれも育ちもイギリスですが、大人になってからは30年以上日本に住んでいます。

私は元々、子供の頃からアートやファッションに興味がありました。そして日本に来て着物と出会い、あっという間に心を奪われました。その着物のデザインが色とりどりで美しく、生地も非常になめらかで手触りが良かったからです。

そこから着物の着方や着付けの教え方を学んだり、趣味で型染めをやってみたりしました。また、着物の歴史について勉強も始めました。

やってみるとこれがとても面白く、ずっとやめられなかったという感じですね。着物って柔らかなシルクの上に可愛いデザインが描かれているだけではなく、多くの種類があることも学びました。

その後、着物をテーマに博士号を取得し、数冊ですが本の出版も行っています。2017年に出版した『The Social Life of Kimono』(Bloomsbury)は私の論文をベースにした本で、1870年代日本に西洋風のファッションがやってくるずっと前から、日本には独自のファッションシステムがあったことについて解説しています。

2018年に出版した『Sheila Kimono Style』(東海教育研究所)は写真集で、四季折々の着物コーデをご提案し、着物と季節がいかにマッチするかを示しています。

着物について教えたり、学んだり、誰かと共有したりすることは、ライフワークとしてこれからも楽しみながら続けていきます。

もちろん小さなファッションショーや様々な新しい取り組みも続けていきますよ。これからのコラムをお楽しみいただければ幸いです。

 

丹後との最初の出会い

こんにちは、シーラです。今回は丹後を訪れた所感について書きたいと思います。

私が初めて丹後に来たのは約10年前のことで、着物のファッションショーに参加するためでした。その時はあいにく地域を観光する時間が全くなく、そこがどんな印象だったかも忘れてしまっていました。

今年2019年の夏のはじめに、丹後に招待され、初めて地域の名所を観光したり、土地の歴史や着物との関連を学ぶことができました。

この旅で、私は東京から京都駅を経由して天橋立へ向かう列車に乗りました。

天橋立は日本三景の一つと言われますが、まさにその通りだと思いました。松の生えた美しい砂州で、湾をまたぐ美しい自然な橋となっており、伝説として天から下った橋だと考えられています。

丘陵は密に森林で覆われ、青い海と緑の陸は帯状の白い砂州で分かれています。

そこから海沿いの旅を続け、私は伊根に着きました。

ここは住居が舟小屋の上に建てられた漁村で、人々は文字通り水上で暮らしています。帯状の村で、昔の時代の魅力や素朴さは今もなお何一つとして失われていません。

小さな木造の建物が海岸に雑然と寄せ集まり、家々の片側は海の方へ、反対側は狭い通りへ出るようになっています。ここでは漁業が生活様式になっています。

内陸の方へ少し車で行くと、与謝野の農業地帯があります。青々と緑が茂り、とても肥沃な土地です。

ここでは江戸時代から絹の着物や帯の織物、染め物が多くの人々の生活手段でした。主として家族規模の事業者がまだ織機を動かしており、着物産業用の絹織物を作っています。

近年では中国やブラジルから大量に絹が輸入されていますが、集約的な織りや染めの作業は丹後でなされています。

個々の職人が厳選した植物の染料で絹を染めたり、手織りばたで糸を織り、複雑なジャガード織は織物工房で着物や帯用にデザインされて織られています。

これらは日本の他の地域でも行われていますが、ここで働く人々は、芸術面、デザイン面両方のスキルだけでなく、技術やエンジニアリングの知識にも熟達しています。

また、著名な建物はかつて栄えた生糸ちりめん商家、旧尾藤家住宅にも訪れました。地元の産物が集まり京都へ輸送されていたちりめん街道沿いに位置しています。

私は最近、イギリスにある巨大な5階建ての紡績工場を訪れました。

そこは産業革命時代に建てられたとても大規模なもので、当時人々は機械の奴隷の様になっていました。長時間休みなく働き、スラム街に住みました。

織物用の綿は奴隷を売って購入されました。その印象深い工場には苦難と労苦の歴史が隠されています。

それに比べると、丹後には何かすがすがしいものがあります。それはおそらく産業の規模や周りの自然のためでしょう。

ここには土地や海・人々の間に、また科学、農業、芸術との間に調和があります。確かにこれは繊細な調和ですが、将来もこのまま残っていくでしょう。

 

歴史的にも現代的にも着物にとって非常に意味のある、この魅力的で美しい場所をもっと知ることを楽しみにしています。

天橋立ナイトと丹後きものまつり

10月、海の京都DMOより、丹後きものまつりとその前夜祭となる天橋立のナイトイベントにお招きいただきました。私は今回、着物を愛する海外からの3人の素敵な女性たちを連れて行ったのですが、他の3人にとって天橋立に行くのは初めてで、皆旅行の数日前からワクワクしていました。あいにく道中の天気はあまり良くなく、日本の秋を連想させるすっきりと気持ちの良い晴れ日ではありませんでしたが、現代の気候としてはこの時期、曇りや雨が続くのも当たり前になってきているようにも思えます。しかし、私たちの気持ちは天気によって弱められることはなく、目的地に近付くほどより高まっていきました。また、京都から天橋立までの電車での移動中、野生の鹿を目撃できればと期待していましたが、見事、偶然見ることができて満足でした。

天橋立に着いてから、まず丹後ちりめんの着物を初めて着付けていただきました。どれも職人さんの手によって仕上げられた高品質な作品です。私は頻繁にはフォーマルな着物を身につけませんので、いつもの普段着きものと異なり新鮮な気分でした。袖はより長く、生地はとてもしなやかで柔らかく、豪華でした。私は松葉のデザインが織り込まれた淡紫色の色無地を選んで着たのですが、それは天橋立が砂州という地形で道が松の木で覆われているため、まさにこの場所にふさわしいと思ったからです。着替えた後はイベント会場に行く予定になっていましたが、ちょうど雨が降っていたので水たまりを避けるように慎重に歩いていきました。


その後は着物でのナイトクルージングが準備されていましたので、私たちはボートの着く波止場へと向かいました。その近くの雰囲気良いレストランには丹後のシルク作品が多く天井から吊り下げられて展示されており、照明によって様々な色合いに輝いていました。
私たちはボートに乗り込み、スパークリングワインを一杯いただいて、港を出発しました。乗船中にちょうど夕日が沈んでいき、途中で雨も止んできたので、デッキに上がりました。響くサクソフォンが演奏され、音楽と海風を楽しみながら、遠く海岸沿いにぼんやり灯る明かりの数々を眺めていました。それはまるで夢の世界にいるような感覚でした。

 

先ほどのレストラン会場に移ると、丁寧に準備された地元料理のビュッフェが振る舞われていました。白く四角い和紙のお皿の上に盛り付けられたその料理の数々は、見た目も味も魅力的でした。私はそこでトークショーのお時間を少しいただき、自身の着物への愛情について、また着物が時代を越えた素晴らしいファッションアイテムであることについて、そして丹後という地域では人々がそこで働き暮らしながら自然とともに美しく調和していることについてお話しました。ここでは他の土地で見てきたような巨大な工場の機械に人々がコントロールされていないことが私には素晴らしく感じられます。

前回の旅行以来、私は天橋立を歩いて横断したいと思っていましたが、今回はあいにくスケジュール的に時間が足りませんでした。目覚まし時計を午前6時にセットして、静かに着物に着替えました。早朝、松の木々の隙間に差し込む光には心が洗われるようです。松並木の道には何人かの歩行者やランナーがいて、私も道の両側にある穏やかな海を眺めながら、一人で散歩していました。松の香りと、古く捻れた樹木の幹、そこに生えている苔を見て楽しみ、爽やかな朝を迎えることができました。

朝食後は、天橋立のまちなかを歩いてまわり、写真を撮って楽しみました。きものまつりと言うだけあって周囲には着物を着ている人が本当に大勢いて、まちの風景がより魅力的に高められていました。私たちはメインのパレードを見て、きものクイーンと交流し、毎年人気というスタンプラリーにも参加しました。まわりの人々はファッションショーや着付けのレッスン、和太鼓の演奏を楽しんでいました。皆が笑顔で幸せそうに見えて、本当に素敵なことだと思いました。着物を通じて丹後と繋がりを持てたおかげで、このような美しいイベントに参加することができ光栄でした。




2020年、明けましておめでとうございます!

皆さま、年末年始の休日はどのように過ごされましたか? 毎年、クリスマスと新年は友人や家族と集まって楽しい時間を過ごせますので、私は特に大好きです。最近、私の子ども達が引っ越してしまったので、今回初めてクリスマスツリーを一人で立てました。自家製の木の飾りは、彼らが小さな子どもだった頃を思い出させてくれます。クリスマスをお祝いした思い出はこれまでたくさんありますが、今回も私は多くの友人や子ども達の友人と一緒に大規模なパーティーを開きました。クリスマスやお正月にも着物を着るのは楽しいものです。クリスマスには、それらしいモチーフや赤、緑、銀、金の色などで表現します。また新年には松、梅、竹、または長寿を象徴する鶴や亀を通して表現できます。今年は同居人と私で、新年とクリスマス用の着物コーディネイトを楽しみました。

今、私はこの2020年の到来にとてもワクワクしています。今年の着物活動として、たくさんのアイデアや計画を用意しています。着物に関する情報や魅力を広めて、着物がどれほど素敵な衣服であるかを人々に伝えていくことに、私自身これからも関わり続けると確信しています。その活動の一つとしてスピーチや講演があり、ニュースや雑誌の記事も執筆します。また、これまで以上により面白い着物スタイル本を作りたいと思っています。

さて、私は今年、昨年よりも多くの時間を丹後地域で過ごすことになるでしょう。それは丹後織物工業組合が今年で記念すべき丹後ちりめん創業300周年をお祝いすることに関わります。この地では1,300年以上にもわたって絹織物が織られてきました。織機で有名な京都の西陣と非常に密接な関係にあり、歴史上多くの西陣織帯が丹後地域で生産されました。「縮緬」は京都から1720年頃に丹後に伝わり、江戸時代から丹後地域の織工さん達が代々生産し続けてきました。丹後・与謝野町には「ちりめん街道」という名前の付いた通りまであり、かつて商家がその通り沿いに住んで、絹を取引するため京都市内まで持っていきました。この地域の人々はその長い歴史を当然誇りに思っています。しかし、只その遺産に頼っているだけではありません。

現代において着物を着る人は以前よりも少なくなり、フォーマルからカジュアルな服装への移行が、日本のみならず世界規模で進んできています。このことは着物業界にとって大きな挑戦となります。着物用のちりめん生地、絹織物の約70%が今もなお丹後地域で作られていますが、着物の未来にとって、この伝統産業を続けていくことは極めて重要な使命です。同時にこの地で織物業に関わる人々は市場を拡大することの重要性も認識していらっしゃるので、着物市場だけでなく西洋のファッションブランドやインテリア、その他新商品の生産にも注力し貢献されています。

シルクは、均一な体温を維持する上で優れた生地です。柔らかく、人体と同様のアミノ酸を含んでおり、見栄えが良いだけでなく素肌にも非常に心地よいものです。丹後の織工さん達は、丹後ちりめんを今後さらに100年前進させる挑戦に取り組むため、新たな技術とデザインを開発されています。
私は今回、2020年の丹後ちりめんのプロモーションに参加できることを嬉しく思います。また、丹後地域の多くの人々との綿密なコラボレーションや新たな出会いを楽しみにしています。丹後の新年、あけましておめでとうございます!

一部写真提供  ●丹後織物工業組合  ●海の京都DMO

自宅待機の日常から丹後へのメッセージ


 皆さんこんにちは。お元気にされてますでしょうか。ほんの数週間前に、今の世界がどんな状態になっていくか想像するのは困難でした。2月にイギリスを発つ直前に、娘が通っていたウェールズの学校が閉校すると発表され、彼女を連れて帰国することになりました。幸い私が乗る予定の飛行機に娘の席を確保でき一緒に帰国もできましたが、帰国後は14日間自宅で一緒に隔離されながら過ごしました。2週間経ってから、ちょうど桜の咲いている与謝野にも少しだけ行くことができました。いつもの様に自然がとても美しくて、まるで普段の生活ができているかのようでリフレッシュできましたが、また東京に戻ってからは自宅待機となり、隔離状態になりました。その短い旅行を除くと、3週間ほとんど家の中にいる生活です。

 皆さんは自宅待機中、何をされていますか?私は実際、着物イベントのない土日と同じように家で過ごす日が多いです。掃除をしたり、ちょっとしたガーデニングをしたり、着物のことについてエッセイを書いたりして、ある意味で生活はあまり変わっていません。それでも普段なら1日14キロ自転車を漕ぎ、1万歩は歩いていますので、そうできないことを残念に思っています。外に出るのが好きなのですが、友達と会っておしゃべりしたり、生徒に教えたりすることができません。どうしてもスーパーに行かなければいけない時は、マスクとマフラーをして出ます。外にいる人は皆、顔を隠していて、街に笑顔がありません。私には手直しの必要な着物や、他にも色々と裁縫をしないといけないもの、読むべき本も山積みになっています。テレビは持っていませんが、これらのものがあるおかげで退屈はしていません。時々、友人や家族とオンラインチャットやスカイプでやり取りしています。

 イギリスやベルギーには家族がいて、イタリアやスペイン、米ニューヨークにも友達がいるので、日々彼らがどうしているのか気になります。今のところ、彼らはウイルスにかかっていません。夜は世界で起こっているニュースをまとめて見るようにしています。それ以上頻繁に見ていたらパニックになってしまうでしょう。一日に一度だけ、世界ですごく恐ろしいことが起きているのを見ています。医師や看護師に防護服が不足しているという記事を読むと腹が立ちますし、彼らの中に亡くなった人もいると聞くと涙が出てきます。今、病院で働いている人たちがどんな状態でいるのか想像もつきません。街角のショップ店員や配達員、清掃員の方々も目に見えない敵との戦いの最前線にいるヒーローです。本当に恐ろしい状況ですよね。

 今年中止になってしまった着物のイベントや、延期になってしまった企画については本当に残念に思っています。この春、学校に行くのを楽しみにしていた子どもたちや学生たち、働けなくなって経済的に困窮している人たちがいることもとても悲しいです。日本の生活は、これから回復していく前にも更に大変なことになっていきそうです。私たちはこれからも他国の経験から学ばないといけないでしょう。このウイルスを止めるためには、多くの人々の大きな犠牲が必要になっています。病気からの回復には時間がかかりますし、どの国もまだ被害から完全に回復していない状況です。

 どんな曇った雲の中にも希望の光があると言います。でもこの場合、何が希望なのかはわかりません。確かに今、世の中に良いことは少なくなっています。人類はこれまで急速に進めてきたスピードを緩めることを余儀なくされています。東京の人々の生活はおかしくなっており、皆あまり落ち着いてじっくりと考える時間がありません。立ち止まり考える時間があると、本当に自分がやっていることは正しいことなのかと自問自答してしまいます。これは自分にとって意味があることだろうか?これから人生をどう生きたいのか?私は誰かに何かを返せているのだろうか?そんな風に考えると、自分の身近な家とそこにいる人たちに感謝できるようになってきます。一人で孤立している人もいれば、虐待やストレスの多い人間関係の中にいる人もいますが、私の家には幸い柔らかな調和があり、また比較的広々としていて、スペースのあることにとても感謝しています。空間は物よりも大切だと思います。空は青くて、外は静かです。空気は澄んでいるので、植物や動物たちも幸せな状態かと思います。自然はいつものように伸び伸びとしていて、私の庭にはチューリップが咲いています。以前に植えたジャガイモもすくすくと育ってきています。

 この後、世界がどのように変わっていくのかは誰にもわかりません。私たちがこれから何を経験しなければならないのかも正確にはわかりませんが、多くの人がこの経験によって良くも悪くも何かしらの変化を遂げることでしょう。その際はそれぞれが親身になって支え合ってほしいと思います。先日、新型コロナウイルスの感染が発生した大学で職員や学生がいじめられていたということにゾッとしました。私たちは団結して、この恐ろしい病気にかかった人たちに対して優しく接しないといけないでしょう。また私たちは、高齢者の隣人が買い物を必要としているかどうか、話を聞いてあげる必要もあります。これからも生活のため準備をしなければなりませんが、不足が怖いからといって慌てて物を買い占めるようなことをしてはいけません。私たちに与えられた時間を賢く使っていきましょう。今は前から読みたいと思っていた本を読んだり、新しい工芸品を使って試してみたり、音楽を作ったり、オンラインコースをやってみたりすることだってできます。新たなプロジェクトを進めたり、ゲームをしたり、家族と一緒の料理作りを楽しむこともできます。身近な人と共に創造的になれる時間を持つことができるのは素晴らしいことです。

 今まさに世界は分水嶺に差し掛かっているのではと思います。今起こっていることを終息させていくとともに、逆に世界をこれからどのようにしたいか考える必要があります。私たちにとって今という時は危機でありながら、変革を起こすチャンスなのだとも思っています。

与謝野の椿を紡ぐ

こんにちは。今回も自宅からのエッセイです。皆さんもお家で安全に過ごされていることを願っています。何とかこのパンデミックを乗り越えて、いち早く普通の生活を取り戻したいですね。

さて、前回のエッセイでは、東京での緊急事態宣言が始まる前に丹後方面を訪れたことを書きましたが、今回はその際、与謝野町にて出会うことのできた素晴らしい職人さんを紹介します。

与謝野町を象徴する木である「椿」。その地に長年住まわれ、椿を扱ってこられた織り職人、佐橋登喜蔵さんの工房「登喜蔵(ときぞう)」をお訪ねしました。

私が訪れた日は、ちょうど大きな桶に椿の花と布を入れて染め上げる作業の最中でした。プロセスとして、まず桶に水を入れて花を茹で、濃いピンク色になるまで煮出します。花を漉き出した後、美しい絹糸を水に浸すと、たちまち鮮やかなピンク色に染まります。また、別に用意された鉄の媒染剤の入った溶液に浸すと、紫がかった灰色に糸が変色します。こうやって地元で育つ植物を摘んで糸を染め、手織機で美しい着物を直接織ることを夫婦でずっとやってこられています。

また、それだけではありません。朝子さんは柔らかくなった繭から糸を紡いで、自ら素材となる糸を作っておられます。登喜蔵さんがそれを布に織り上げていくのですが、その時、糸に大きすぎる塊がついてないか一本一本吟味されます。手仕事でここまで細やかな気配りができる方も珍しいでしょう。このご夫妻は作り手として本当に着物を愛されている方たちだと感じました。

 

先日、与謝野で育てられた絹の繭がお二人の元に届きました。これは町の新たな取り組みだそうですが、登喜蔵さんはとても感激されていました。染料と、朝子さんの手紡ぎの糸に加えて、絹そのものも与謝野産の蚕から採取した素材で揃いました。お二方は将来的に全て与謝野の素材を用いた着物を作ることのできる日を夢見ているそうです。

着物がその土地に根ざすということはつまり、その地で発展してきた糸づくりや染料、技術が在るからであって、その原則に作り手、職人さんとしてのこだわりを示されています。登喜蔵さんと朝子さんの作品は、いにしえからの伝統に根ざしたスローファッションだと言えるでしょう。「本物」には決して勝てません。

美しい染めの作品を見せていただいた後、表へ出て、おおよそ千年前から丘の中腹に生えていると言われる椿の木「千年椿」を見学させていただきました。その樹木はとても大きく、深紅色の花を咲かせていました。幹もぱっくり二つに分かれており、それほど長い期間、どうやって生き延びてきたのか本当に不思議です。

ふと、真の品質を求めるにあたっては、時間は意味をなさないのかもしれないと感じました。それでは、またお会いしましょう。

クスカ工房見学のこと

みなさまこんにちは。お元気でしょうか。

首都圏の外出自粛による影響でしばらく丹後方面に行けておらずとても残念ですが、今回は自粛前に訪れた与謝野のある工房について書いてみたいと思います。

ネクタイメーカー「KUSUKA(クスカ)」、その工房は小さな川沿いの周辺、柳の木や畑、野の花が生い茂る美しい場所にあります。

代表の楠さんは、丹後の地にのこる織り技術を活かして、ファッション分野で新たな商品を開発され、全国で販売されています。

主要な商品は手織りのネクタイ。着物用とは異なる特別な幅の織機で生産されていますが、こちらは前職でエンジニアリングの経験がある楠さんご自身で改良されたものです。

ネクタイはバイアスに裁断され、織り手が生地に織り込んだ縞模様がネクタイ上で斜めに入り、ストライプ柄のアイテムが出来上がります。

手織りによる高品質なネクタイは、国内だけでなくネクタイの本場ヨーロッパでも販売されており、その他にも絹100%の柔らかなショールやストール、お洒落な裂き織りのスニーカーなど上品でユニークなアイテムづくりにも挑戦されています。また、素晴らしいことに織り手は、これから技術を引き継いでいく若い職人の方たちが中心になっています。

300年の歴史を持つこの土地の技術が、伝統を守りながらも現代のファッションにも生かされていること。新たな可能性を拡げていこうと様々な工夫がほどこされ、進化していく過程をみられることは、とてもエキサイティングですね!

それでは、また次回素敵な職人さんの特集にてお会いしましょう。

「丹後縫取ちりめん」 柴田織物さんのこと

コロナウイルスの影響で今後、着物づくりはどのように変化していくでしょうか。パンデミックから復興に向けたチャレンジが求められると思いますが、創造性と才能を発揮し体現している着物職人がいるとしたら、その一人は間違いなく柴田織物代表の柴田祐史さんだと思います。今回は柴田さんをメインにご紹介していきます。

 

工房見学の様子

ZOOM対談の様子

 

柴田さんのお家は代々、機織りの工房を経営されていました。柴田さんご自身は元々、都市部で電機メーカーの設計士として働かれていましたが、20年以上前に家業を継ぐことを決意し帰郷されました。当時身に付けられた技術力やエンジニアリングの知識は非常に重宝されていて、今もなお織機のメンテナンス、工房全体の運用管理など十分に生かされています。

 

柴田織物のものづくりで特によく知られているのは「縫取(ぬいとり)式」の着物作り。緯糸に金や銀をコーティングした糸を使って、高級感あるキラキラした糸で織られた着物を作る手法です。しかしながら近年このようなフォーマルな式典用の着物需要が減ってきたため、時代の変化に合わせて、柴田さんも多種多様なアイテムを織られるようになりました。

 

 

柴田さんの作る着物には、男性用の種類がとても増えてきています。従来の男性用着物は無地がほとんどで、柄ものなどこれまであまり多様でお洒落ではなかったかと思います。しかし柴田さんは、まず自分が着物ユーザーとして着たいと思うデザインは何かを考え、様々面白いアイデアを出されてきました。その発想はとても意外かつユニークで、出来上がった着物はモダンでありながらスタイリッシュです。

 

例えばこちらのスネークスキンの生地。蛇柄は昔からおしゃれ小物に使われていましたが、着物に織り上げることで、とてもダンディな男物に仕上がっています。

 

また、こちら鉄板の十字のデザイン。一見控えめですが、近くで見ると、柿渋で染めた糸が、金糸のような存在感を主張しています。羽織紐は鎖で編んだもので、インダストリアルな雰囲気を醸し出しています。

 

そして、こちらの中近東のブルーのモザイク柄は、日本の浴室タイルから着想を得た帯と合わせて、美しい着物とのコントラストを際立たせています。

 

また最近では、「不思議の国のアリス」の物語を女性の着物に織り込んだ力作を発表されており、先月私もTV出演させていただいたNHK総合「世界はほしいモノにあふれてる」の着物特集でも紹介いただきました。これら全てのデザインを織りの技術で仕上げるのは、想像以上に複雑なのだそうです。

また新たな人気アイテムとして、着物の下に着る長襦袢用の絹地があり、こちらは洗濯可能なものです。これは絹織物の世界では嬉しい発展ですね!

私の印象では、柴田祐史さんのような人は「ルネッサンスマン」なのだと思います。織物の世界で生き残っていくためには、本当に多くの技術を身に付けなければいけません。ルネッサンスマンは芸術家のような創造性とインスピレーションを持っていますが、コンピューターを操ってデザインを作り、それを織機にプログラミングする方法、また織機の設定や操作方法も知る必要があります。

 

小さな工房から誰も見たことがない新しいデザインが生まれてくるのを見るのはとても刺激的なことです。今後も丹後の地で、このようなクリエイティブが続いていくことを願っています。

 

 

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