ヨサヲとミヤコの往復書簡 京都に憧れる与謝野のヨサヲ。与謝野に憧れる京都のミヤコ。往復する2つの想いは、ただの雑感? それとも…。
あらためて多様性、そしてナショナリティ、不思議の国ニッポン 令和元年10月30日

ミヤコさん

 最近こちらは、めっきり涼しくなりました。京都のほうはどうですか。
 サクラジャパン、残念でしたね。ほんと、ここまで日本中を沸かせてくれました。私も、久しぶりにTVの前で釘付けになりました。来年のオリンピック・パラリンピックに向け、この盛り上がりが持続するといいですね。テニス大坂なおみ選手やバスケ八村塁選手も活躍しています。ラグビーに続け!ですね。
 おっと、まだラグビー、3位決定戦や決勝もこれからでした。まだまだ、ラグビーも盛り上がります!

 10月19-20日は、天の橋立で着物祭りが開催されました。20日には、700名の着物姿の参加者で賑わいました。多くの人が着物で町を散策される風景は、いかにもこのエリアのイベントらしくていいものだと実感しました。
 イベントに参加されたみなさんの着物姿は誰も素敵でした。でも圧倒的に存在感があったのが、シーラさんとそのお友達のみなさん。4人が歩く道すがら、着物姿の日本人からサインを求められたり、一緒に写真を撮ってほしいと頼まれたり。たしかに、彼女たちの着物姿はとても映える。そしてとても明るく楽しそうにみえる。一緒に写真を撮りたくなる気持ち、わかる気がします。
 日本の文化に憧れた外国の方がいつのまにか、日本人から憧れられている不思議さ。さらには、日本の文化を楽しんでいる外国の方に感化されて、日本の文化を楽しむ日本人。こんな光景もまた、多様性時代のワンシーンでしょうか。
 実は、我々日本人からすれば、シーラさん一行はひとくくりの「外国の方」でみてしまいがちですが、4人はそれぞれ国籍が違います。シーラさんはイギリスですが、ご友人はドイツ、エクアドル、アメリカがそれぞれの母国。ほんとうにグローバルです。各々の国の文化・習慣を超え、日本の着物を通じ食を通じて楽しみを共有することも、とても不思議に感じます。

 こんな多様性・グローバルシーンの一方で、ナショナリティを強く感じたことを。
 先日の天皇陛下即位の礼 「即位礼正殿の儀」、厳かで雅な時間と空間でした。音だけで進む儀式、静の荘厳さ。日本人でさえ寄せ付けない何とも言えない空気感、日本のオリジン、神秘性をTVの映像越しにでさえ強く感じました。
 世界の人は、この映像を見てさぞ日本に興味をもったことでしょう。エキゾチック、ミステリィという言葉だけでは表せない、なにか特別な感覚も。

 あらためて、不思議な国ニッポン。

ヨサヲ
スポーツや芸術が開くよ、異文化への扉 令和元年10月30日

ヨサヲさま

 ラグビーワールドカップ日本代表のチャレンジ、素晴らしかったですね。悔しいですが、困難な世界に立ち向かった選手たちは最高にかっこよく、次代に堂々と「次は4強!」という夢のバトンを渡しました。
 日本のファンも「日本イチバン!」と調子づくより、「世界はまだまだ強い!」と実感できました。ヨサヲさんが言われるように、これこそ、異文化への敬意や多様性を理解することにつながるはずです。

 命日に、正面からぶつかって破れた後輩たちを平尾誠二さんも労っていることでしょう。
 実は私も、同志社や神戸製鋼の試合を見に花園や万博公園に通いました。ザ・ミーハーです。フィールド以外でも、女友達同士で「誰が京都で一番男前か」と話すたび、彼を取材した女性記者が「こっちの目を見て熱い話を関西弁でしはるねんで」と言い、一堂「そらたまらんな〜」「不動の1位や」と悶絶する‥。こんなトークを何度繰り返したことでしょう。
 平尾さんはiPSの山中伸弥教授と親しかったため、ラグビー以外の医療話題でもよく登場しますね。平尾さんも、今回のワールドカップの選手たちの活躍も語り継がれることでしょう。彼らの勇姿が胸にとどまり、長い復興の道程が始まった台風被災地を励まし続けるように願っています。

 大変な困難にあるとき、世界の舞台での活躍が日本人を励ます例はスポーツだけでなく、文化・芸術分野でもありますよね。たとえば「羅生門」「雨月物語」「地獄門」の海外映画祭の受賞も、敗戦で荒廃した日本の復興を後押ししたといわれます。
 この「地獄門」(1953)で、セットを担当した京都の美術監督・西岡善信さんが、先日(12日)亡くなりました。
 西岡さんが手がけた作品を並べると、そのまま京都の映画史になります。「朱雀門」「新源氏物語」「炎上」「残菊物語」「ぼんち」「大魔神」「鬼流院花子の生涯」「吉原炎上」「瀬戸内少年野球団」「利休」「御法度」「たそがれ清兵衛」、さらに眠狂四郎や座頭市、鬼平犯科帳シリーズなど。伊藤大輔や衣笠貞之助、森一生、市川崑、大島渚、篠田正浩、そして山田洋次監督らに絶大な信頼を得た名手です。
 大映京都の倒産後は技術者集団「映像京都」を立ち上げて、時代劇製作の砦を守りました。監督が夢として挙げる「京都で時代劇を撮る」とはつまり、「京都で西岡さんと仕事する」ことでした。
 長く、京都の歴史的景観や伝統技術は、時代劇映画づくりに最適でした。CGが発達した今も、「本物」を求めて、多くの映画人が京都で映画を作りたいと願っています。
 京都でこれからも映画が作られ続け、ここで誕生した作品が日本の使者として世界を巡りますように。祈りを込めて、きょうの写真は西岡さんが描いた地獄門のデッサンをご紹介しますね!

ミヤコ