京都府は、非常事態宣言が2月末で解かれ、1日からは飲食店などへの営業時間短縮の要請は継続されるものの、少しづつ普段の日常を取り戻すような気配を感じます。これを春の訪れとは言えないでしょうが、自分の気持ちはそうありたいと思います。
先週より、与謝野町ちりめん街道旧尾藤家住宅や旧加悦町役場庁舎では、毎年恒例の雛壇が飾られました。ちりめん街道のひな巡りは中止となりましたが、それでもこうした伝統の行事、季節の風物詩は、この町の人を元気にします。もちろん準備や日々の管理は大変ですが、それでも地域の皆さんが一堂に会し、協力し合い、助け合って作業する様は、本来のコミュニケーション、地域活動です。特に地方では、この協力し合いの日常があっての個々の生活ですから。いわゆる、鴻上尚史氏のいうところの「村の世間」の素晴らしい一面です。
今年は、KBS京都の生中継もタイミングよく入り、放送直後からお客様が増えました。なかには、今テレビが来とる!と慌てて来られるご近所の方とか。こんな些細な日常の風景が、なんとも微笑ましい。ちっちゃな春の訪れを感じました。
さらに、旧尾藤家住宅では、丹後の織物事業者さんとシーラ・クリフさんのコラボ展示が開催されていました。丹後地域の織物事業者さんの様々な商品を一堂に集め、シーラ・クリフさんの感性での着物コーディネーションするという、まさにオールタンゴの企画展示です。この催しは3月15日から東京高島屋の日本橋店1階で開催される予定で、旧尾藤家住宅の展示はその前哨戦といったところ。さすがに、本場着物処に相応しい展示となっていました。どうやら格式高い高島屋日本橋店の1階で展示イベントができるのは、初めてだそうで。丹後ブランドの東京ど真ん中、進出です。がんばれ丹後ちりめん!
CM出演でシーラ・クリフさんの知名度が上がっても来ている中、このイベントは丹後に事業者さんにとっては絶好の機会となれば、丹後の春です。
3月11日は、東日本大震災から10年。こちらも決して忘れることができない記憶。コロナ禍の終息と合わせて、穏やかな春の訪れを心より願います。
ヨサヲさま
明智光秀については巷に流布する生存説が味わい深いですよ。『麒麟がくる』でも有名な「光秀=天海説」を彷彿させる仕掛けが随所にあり、伝説ファンを喜ばせました。
実は、京都府内にも落ち延びた足跡が点々と残ります。特に集中するのは落命したと伝わる小栗栖(京都市伏見区)から数キロ離れた宇治市内。専修院には匿われたお礼に光秀が残した歯痛を治すという石が、神明神社には隠れていた「葉隠井戸」が残ります。近くに赴任していた時に訪れましたが、趣ある立派な井戸で、身を隠すには最適。静かな境内にたたずんで想像の翼を広げれば、眼前に自分だけの後日譚がドラマチックに展開するようです。
バッドエンドにはハッピーエンドほどのカタルシスはありません。けれども心に長く残るのは、むしろバッドエンド。人々の愛情が生存説を産むのでしょう。
光秀生存を辿る旅は旧街道沿いに西へ東へと点在します。大きな地域起こしには結びつかないかもしれませんが、ドラマの余韻はコアなファンには根強く残ることでしょう!
私もその一人です!特に丹後は細川忠興とガラシャなど後日談の宝庫です。玉ちゃんの苦難の物語。こちらもゆっくり辿らねば、気持ちが落ち着きません!
心に残る名作つながりで、私は京都文化博物館の『羅生門展』(3月14日まで)に行ってきました。映画公開70周年記念の展覧会で、黒澤明や橋本忍の創作ノートやメモ、びっしりと書き込みが残る三船敏郎らの台本、大映京都撮影所に建造された巨大セットの記録など、貴重な資料が紹介されています。
実は私は『羅生門』フリーク!なかでもキャメラの宮川一夫さんが大好きで、ご存命時に自宅(京都市北区)でセットの門に掛かっていた扁額を見せていただいたことがあります。
今回の展示は初めて見る資料ばかりで大興奮。特に泣きそうになったのが、この映画を海外に紹介したイタリア人女性の書簡の数々です。
ご存知の通り、日本公開時はさっぱりだった映画の評価を格段に上げたのが、ベネチア国際映画祭でのグランプリ金獅子賞。実は当初、同じ黒澤映画の『野良犬』『酔いどれ天使』が出品候補作でした。映画祭事務局や大映側と根気よく交渉して『羅生門』を押し続けたのが、ストラミジョリさんというイタリア人女性映画研究者でした。
書簡には、今でいう「推し愛」炸裂です。この愛なければ、『羅生門』は世界映画史から埋もれ、「世紀の名画」とはなり得なかったでしょう。
展覧会では、世界公開時のさまざまなポスターもありお国柄があらわれていて面白いです。写真右はスウェーデン公開時。主人公が浮世絵風で笑撃です!