ミヤコ様
祇園・花見小路の「撮影禁止」の看板、初めて知りました。(TVを全く見ないもので、話題のニュースに疎いです。)
いよいよ、京都もここまできましたか。
「許可のない撮影は1万円申し受けます。」確かに品がないですねえ。
抑止的な意味なら、ほんと、要らないよなあ。1万円というのも何とも言えない。なぜ、1万円?と思っちゃう。5000円?10万円?まあ、いくらでもよかったのでしょうが、根拠のないことに思わず笑ってしまいます。そのうち、きっと「撮れないところで撮った写真」としてインスタをはじめとするSNSで盛り上がるような気がします。中には1万円を支払うことを覚悟にパシャパシャ写真撮る輩もいたりして。
違う意味で、大混雑になったりしてね。そういうことをほんと楽しむ時代ですし。
結果的に、ブランド力が低下することを危惧します。協議会の皆さん、そういう論議はされなかったのかしら。私なら、いっそ観光料(=エリア入場料)を徴収します、3万円。
知人も言ってましたが、今の花見小路で飲んだりしないと。特に接待なんぞ絶対使わないと。店に入れば落ち着く空間でも、店にたどり着くまで、またほろ酔い気分で店を出た後、興醒め感が半端ないとのことでした。もう10年も前になりますが、よく花見小路の店にお客様をお連れしました。今までに体験したことのない、京都だけの持つ、ある意味異様な空間とみなさん大満足でした。
そして今、違った意味で異様な空間となっているのですね。みなさん大不満にならないことを祈ります。
そんな京都に比べのんびりしている与謝野で、先日「与謝野町蕪村顕彰全国俳句大会」の表彰式が行われました。蕪村ゆかりの地として、2012年からはじまった俳句の全国大会のひとつ。これには地元小中高生全員参加の力の入れようで。私も初めて表彰式を見に行きましたが、思った以上に感動しました。小中高生に限った「Buson俳句大賞」もあり、入賞者の小学生が自身の作った俳句を詠んで表彰される様は、なんとも素敵な光景でした。「与謝野」らしさを久々に感じた時間。着物も悪くないし、ホップも勢いあるけど、こんな文学的コンテンツも魅力的かも?と思った次第です。
与謝野晶子、鉄幹、そして蕪村が、詠んだ町。その時の心境を図ることはできませんが、彼らの目に映った空間が、「詠むに値した」空間であったことを信じたい。
たぶん300年前も今も実はあまり変わらない風景かもしれません。そんな町に気楽に暮らす自分が少し誇らしくもあります。 なんちゃって!
シーラさんのおっしゃった「スクエアな規格の普遍」、先日の「即位礼正殿の儀」や最重要儀礼である「大嘗祭」のニュース映像を見ていて、実は私も同じことを思っていました。
装束の、あのスクエアのフォルム。「優美」という言葉は柔らかで曲線的な光景を表す際に使うことが多いですが、一連の儀式では「美しい折り紙」のような「優美な直線」に魅せられました。
改めて、「きもの」ってすごいです。直線の反物が、なぜあんなにエレガントな造形になるのでしょう。きものをまとうたび、畳むたび、感動すら覚えます。
きものを愛し、理解してくださっているシーラさんのような海外の方は、見た目の絵画的な美しさとともに、その機能美にも感嘆されているはず。「シンプルが一番息長く、結局、一番強いのだ」と。
桐の箱に大切に保管された「丹後ちりめん」のなかには、曾祖母から祖母へ、そして母へ、娘へと受け継がれてきたきものも多いはず。300年の歴史に、女たちのファミリーヒストリーが重なります。
私も母から譲り受けたきものは何より大切な宝物です。新しいきものもいいですが、大切に受け継がれたきものに、命を吹き込む機会を与えるのも、丹後の役割なのかもしれませんね。
さて、紅葉が色づき、京都市内は一気に観光トップシーズン。私からは、最近テレビでも盛んに取り上げられている話題をひとつ。お茶屋や料亭が並ぶ祇園・花見小路(東山区)のあちこちに立てられた「撮影禁止」の看板についてです。
観光客の倍増で、「スマホで芸舞妓を追い回す」「料亭の敷地に入る」などのマナー違反者も増えた地元が、苦肉の策として立てたそうです。
私がこの写真を撮影した日も、「一力」の暖簾を上げて覗いたり、「犬やらい」にもたれて記念撮影する人がいて、巡回する警備員に注意されていました。
でもなあ、「撮影禁止」だけならまだしも、立て看板の「罰金1万円」が、なんとなく品がないんだよなあ。「抑止的な意味、実際には徴収しない」とのことですが、ならばなおさら、お金以外の上手な呼びかけはできないものか‥。
同様の話題では、府立植物園でも最近、ウエディングなど商業的な撮影に対して、費用負担を求める決定をしました。確かに地元の私たちからすれば、長々とこっ恥ずかしい写真を撮っているカップルは少々迷惑。でも何だかなあ・・。平日1万円強、土日は5万円超と、値段もやけに高額だし。
町並みも植物園も、これまで、みんなフリーに撮影し、思い出を持ち帰っていました。
「オーバーツーリズム、解決策は金!」ではなく、もっと寛容で、かつ、心に訴える策はないものか。なんだかため息が出ます。