ヨサヲさま
ラグビーワールドカップ日本代表のチャレンジ、素晴らしかったですね。悔しいですが、困難な世界に立ち向かった選手たちは最高にかっこよく、次代に堂々と「次は4強!」という夢のバトンを渡しました。
日本のファンも「日本イチバン!」と調子づくより、「世界はまだまだ強い!」と実感できました。ヨサヲさんが言われるように、これこそ、異文化への敬意や多様性を理解することにつながるはずです。
命日に、正面からぶつかって破れた後輩たちを平尾誠二さんも労っていることでしょう。
実は私も、同志社や神戸製鋼の試合を見に花園や万博公園に通いました。ザ・ミーハーです。フィールド以外でも、女友達同士で「誰が京都で一番男前か」と話すたび、彼を取材した女性記者が「こっちの目を見て熱い話を関西弁でしはるねんで」と言い、一堂「そらたまらんな〜」「不動の1位や」と悶絶する‥。こんなトークを何度繰り返したことでしょう。
平尾さんはiPSの山中伸弥教授と親しかったため、ラグビー以外の医療話題でもよく登場しますね。平尾さんも、今回のワールドカップの選手たちの活躍も語り継がれることでしょう。彼らの勇姿が胸にとどまり、長い復興の道程が始まった台風被災地を励まし続けるように願っています。
大変な困難にあるとき、世界の舞台での活躍が日本人を励ます例はスポーツだけでなく、文化・芸術分野でもありますよね。たとえば「羅生門」「雨月物語」「地獄門」の海外映画祭の受賞も、敗戦で荒廃した日本の復興を後押ししたといわれます。
この「地獄門」(1953)で、セットを担当した京都の美術監督・西岡善信さんが、先日(12日)亡くなりました。
西岡さんが手がけた作品を並べると、そのまま京都の映画史になります。「朱雀門」「新源氏物語」「炎上」「残菊物語」「ぼんち」「大魔神」「鬼流院花子の生涯」「吉原炎上」「瀬戸内少年野球団」「利休」「御法度」「たそがれ清兵衛」、さらに眠狂四郎や座頭市、鬼平犯科帳シリーズなど。伊藤大輔や衣笠貞之助、森一生、市川崑、大島渚、篠田正浩、そして山田洋次監督らに絶大な信頼を得た名手です。
大映京都の倒産後は技術者集団「映像京都」を立ち上げて、時代劇製作の砦を守りました。監督が夢として挙げる「京都で時代劇を撮る」とはつまり、「京都で西岡さんと仕事する」ことでした。
長く、京都の歴史的景観や伝統技術は、時代劇映画づくりに最適でした。CGが発達した今も、「本物」を求めて、多くの映画人が京都で映画を作りたいと願っています。
京都でこれからも映画が作られ続け、ここで誕生した作品が日本の使者として世界を巡りますように。祈りを込めて、きょうの写真は西岡さんが描いた地獄門のデッサンをご紹介しますね!
ミヤコさま
ミヤコさんの「ラグビー」お守りのご縁もあって、ラグビーサクラジャパン、またまたやりました!
見事な勝利でした。台風19号の被害の深刻さの中で、(いろんな考え方、意見はあるかと思いますが)日本中に元気と勇気を与えてくれた、素晴らしい勝利!と、私は思います。
京都新聞9月22日の日曜社説において、ラグビーW杯について「多様性の魅力を楽しもう」という大見出しで書かれていたことがとても印象的だったので、切り取って壁に貼っています。
要は、ポジションによる体格・個性の「多様性」もあるけれど、大きな特徴として、チームの編成が多国籍であることが書かれています。(サクラジャパン31人のうち15人が海外出身者、約半分を占める。)ルールとして国籍を問わないことが特徴なのですね。
我々日本人は、古くからの島国根性のせいか、外国人を容姿やしゃべり方ではっきり区別しています。その区別は決して悪気があるものや敵対意識ではないのだけど、なにか「(日本人と)違う」というものです。正直、自分の心の中にもあったりします。だから、W杯が始まった時点で、多くの日本人が感じていたであろう、違和感。それが、このサクラジャパンの快進撃によって、いつのまにか自然に無くなってきて、日本中(正確に言うと日本中の日本人)が応援する状況になりました。
実は、サクラジャパンの活躍の大きな成果は、このことではないかと思ったりもします。京都新聞社説の「多様化」。これを日本人が自然に受け入れられたことが功績ではないかと。
インバウンド3000万人、キャッシュレス社会といったグローバル化、そして多様化が暮らしの中にどんどん入ってきています。この秋からご依頼した着物研究家のシーラ・クリフさんはイギリス人。そんな方に、日本の伝統的着物をPRしてもらうなんて。イギリス人のシーラさんが「(日本の)着物は楽しい!」と言ってくれる不思議さ。もはや、着物を着ることに国籍や容姿など全く関係ない。
こんな地域でさえ、少しずつではありますが意識改革されつつあります。
最後にまたまたラグビーの話を。
故平尾誠二さんが、日本ラグビー発展のために、この多様化を進めた第一人者であることを最近知りました。サクラジャパンの活躍を何より喜んでいるのは、彼なんだろうなあと。キャンパスでくだらない会話をしたことが急に思い出されて、懐かしさで少しうるうるしています。