シーラさんのおっしゃった「スクエアな規格の普遍」、先日の「即位礼正殿の儀」や最重要儀礼である「大嘗祭」のニュース映像を見ていて、実は私も同じことを思っていました。
装束の、あのスクエアのフォルム。「優美」という言葉は柔らかで曲線的な光景を表す際に使うことが多いですが、一連の儀式では「美しい折り紙」のような「優美な直線」に魅せられました。
改めて、「きもの」ってすごいです。直線の反物が、なぜあんなにエレガントな造形になるのでしょう。きものをまとうたび、畳むたび、感動すら覚えます。
きものを愛し、理解してくださっているシーラさんのような海外の方は、見た目の絵画的な美しさとともに、その機能美にも感嘆されているはず。「シンプルが一番息長く、結局、一番強いのだ」と。
桐の箱に大切に保管された「丹後ちりめん」のなかには、曾祖母から祖母へ、そして母へ、娘へと受け継がれてきたきものも多いはず。300年の歴史に、女たちのファミリーヒストリーが重なります。
私も母から譲り受けたきものは何より大切な宝物です。新しいきものもいいですが、大切に受け継がれたきものに、命を吹き込む機会を与えるのも、丹後の役割なのかもしれませんね。
さて、紅葉が色づき、京都市内は一気に観光トップシーズン。私からは、最近テレビでも盛んに取り上げられている話題をひとつ。お茶屋や料亭が並ぶ祇園・花見小路(東山区)のあちこちに立てられた「撮影禁止」の看板についてです。
観光客の倍増で、「スマホで芸舞妓を追い回す」「料亭の敷地に入る」などのマナー違反者も増えた地元が、苦肉の策として立てたそうです。
私がこの写真を撮影した日も、「一力」の暖簾を上げて覗いたり、「犬やらい」にもたれて記念撮影する人がいて、巡回する警備員に注意されていました。
でもなあ、「撮影禁止」だけならまだしも、立て看板の「罰金1万円」が、なんとなく品がないんだよなあ。「抑止的な意味、実際には徴収しない」とのことですが、ならばなおさら、お金以外の上手な呼びかけはできないものか‥。
同様の話題では、府立植物園でも最近、ウエディングなど商業的な撮影に対して、費用負担を求める決定をしました。確かに地元の私たちからすれば、長々とこっ恥ずかしい写真を撮っているカップルは少々迷惑。でも何だかなあ・・。平日1万円強、土日は5万円超と、値段もやけに高額だし。
町並みも植物園も、これまで、みんなフリーに撮影し、思い出を持ち帰っていました。
「オーバーツーリズム、解決策は金!」ではなく、もっと寛容で、かつ、心に訴える策はないものか。なんだかため息が出ます。
ミヤコ様
ハロウィン、今年も盛り上がっていましたね。渋谷の風景を見るたびに、驚きます。まるで香港の騒動の様。片や命がけで戦っているのに対し、ノー天気などんちゃん騒ぎ。否定することはないけど、あらためて日本は平和だなあと感じます。
さらには、天皇陛下即位の礼に続く、11月10日の天皇皇后両陛下のパレード。雲一つない快晴に恵まれた東京御所周辺には約12万人が集まり、何一つトラブルなく行われた国の祝賀行事。沿道には日の丸がはためき、ラグビー同様国家ワンチーム、でした。んんん、やっぱり平和です。
季節は、はや11月。令和元年もあと50日余りとなりました。今年は、新年号から始まり、ラグビーW杯、そして天皇皇后両陛下パレードと日本中が盛り上がりました。そしていよいよ来年は東京オリンピック・パラリンピックが続きます。マラソン開催地が札幌に変更されるなどまだまだ課題はありそうですが。この際、日本オリンピック・パラリンピックでいいんじゃないかと思います。
実は、こちら丹後も来年は「丹後ちりめん創業300年」を迎えます。今まさに、この節目の年をどう迎えるか、国がオリンピックイヤーをPRデザインしているように、この丹後では300年イヤーPRの検討が日々なされています。
とてもくだらない話ですが、この300年という時間に、どれだけの「丹後ちりめん」が作り出され、どれくらいの人がここで織られた着物を着たのだろうかと考えています。ブランドって、こうしたとんでもない数のエビデンスの上に築かれていくものだろうな、と。300年という時間の流れの中にあって、「残っている」という事実は、様々な変化があったにも関わらず、変わらなかった証のようなものですね。
シーラさんが「300年の間にアイディアフルないろんなデザインの着物が作られ、消費されては消えての繰り返しの中にあっても、着物のこのスクエアな規格が全く変化しなかったことが、着物の不思議さ・面白さ」とおっしゃっていましたが、考えてみればその通りで。
変わり続けるものの中に、変わらないものがあることの重要性。
「丹後ちりめん」も可能性を信じたいです。