ヨサヲさま
素晴らしい体験でした!
秋の1日、ヨサヲさんの誘いで久しぶりに与謝野を訪れ、そして、丹後ちりめんのきものを着せていただきました。職人の誇りとこころが込められた鴇色のきものに袖を通した途端、背筋が伸び、なんとも「上質、上等な気持ち」になりました。ああ、これが本物の力ですね。
その前日、私は京都市内から車で与謝野に向かいました。
所要時間を考えれば、高速道路を最寄りの「与謝天橋立」まで一気に行くのが最短です。しかし、それでは「与謝野入り」の醍醐味は味わえません。私は丹波から福知山を経て、国道176号線を北へと向かいました。大江山を右手に与謝峠を超えると、加悦大橋から眼下に加悦谷の集落が広がっていました。「京の都」を出発し、海を表玄関とする異なった文化と価値観を誇る「丹後王国」に踏み入ったことを実感する瞬間です。
イベント「きものでぶらり ちりめん街道」では、たくさんの方々がきもので界わいを散策されていましたね。
もちろん京都市内でも、外国人を含む観光客の方々が和装で街を歩いています。しかし、ふたつの点で、ちりめん街道とは異なっています。
ひとつは「質、素材」。いま、京都市内の繁華街にあふれるきものは、薄い化繊がほとんど。和装の裾野を広げるというメリットの一方で、派手な模様が着崩れた姿はいかにも安っぽい。一方、与謝野のきもの体験で着せていただくのは、正絹。優雅な光沢、風合い、快適な着心地。これは一度まとわなければ体感できない特別感があります。
そして「背景」。世界遺産が点在する京都市ですが、遺産自体は「点」でしかなく、古い町並みも意外に少ない。対して、ちりめん街道はしっとりとした町並みが続き、どこを切り取っても「きもののまち」です。みなさんが撮られた写真、ハッシュタグ付きで世界に発信して欲しいですね!
もうひとつ、ありました。それは「人の中に息づく文化」です。
イベントでは、着付師の地元女性たちがフル稼働で大活躍でした。その中に元織り手で、自分が織ったちりめんの着物をお召しの方がおられたのです!街道の歴史や物語を、その方自身が体現されていると感じました。
今回の与謝野行きで、ふるさとへの愛情にあふれる多くの方と出会いました。
体験は忘れ難く、いまは与謝野に「逆ホームシック」状態です‥。
ミヤコ様
ノーベル賞の京大自慢は、そもそも日本人初の受賞者が湯川秀樹先生であったことが脈々と引き継がれていることが要因じゃないでしょうか。個人的に思うのは、コツコツ地道な研究の積上げの結果の受賞といかにも日本人らしいのですが、物理学や化学は我々には少しなじみが薄い。そして地味。(そりゃあ、すごいことなんでしょうが、)できれば我々庶民にわかりやすい分野の受賞があれば、きっと日本全体も盛り上がり方や日本の将来が少し変わる気がします。何度も候補に上がる村上春樹氏が受賞すれば、年々減少する本の販売数や若者の本離れに少しくらいブレーキがかかるでしょうし、どちらかというとサブカルの括りで語られるアニメやゲームも堂々と日本文化としてステイタスが上がるでしょう。初の私大卒の受賞者ということにもなりますし。モノづくり」の国ニッポンが、「ソフトづくり」の国ジャパンへと。期待したいなあ。
京都の社寺も観光客が驚き感動するのは建築物。いわゆるハード的なもの。しかし本当の日本文化は目に見えない精神性だったりするもので。
こちらでは10月より「本格着物体験」という体験サービスを開始しました。
京都市の「ええとこどり」の着物レンタルと対極に位置づけられるサービスです。
京都の景観+着物姿、それはそれは観光客、特に訪日客にとってはテッパン体験。
けれど、ハンガーにかかる数十着から選んだポリエステル着物を気軽に羽織るのは、日本の和装体験、精神性の本質からはほど遠く、いっちゃえばコスプレ、仮装。なんちゃって日本人体験。安価で気軽に市バス1日乗車券を片手に(ポリ)着物姿で京都の地を徘徊できるサービスはいかにも京都市の「ええとこどり」ですね。
「なんだかなあ」を超え「なんやねん?!」です。(笑)
怒れ、生産地!は、井上さんの愛のお言葉ですが、まさにその心境。京都着物レンタルのアンチテーゼとしての「本格着物体験」です。
そのサービスの一番の売りは、着付けの先生による「正絹着物の着付け」体験。髪を結った後で、不自由で少々くるしい締め感を感じつつも、しなやかな正絹の素材感が体にとてもやさしくフィットします。
着付け後は、着物姿での食事、お茶、風呂敷包みなどの所作体験が用意されています。
体験してもらいたいのは、着物=和装所作=和装の精神性=日本の精神性の体験。
レンタルというカジュアルな言葉では伝わらないので、本格体験としました。
京都のレンタル(なんちゃって日本人)体験に対するちりめん生産地での本格(本物日本スピリット)体験。 怒る、生産地!です。(笑)