ミヤコ様
丸山公園のギリヤーク尼崎さん、色々検索して調べ尽くしました。ユーチューブも見せて頂きました。彼の生きざま、まさに「生」を感じますね。(来年も踊られるなら)是非、行きます。
旅や観光の目的のひとつは、日常にはない非日常の体験かと思いますが、その先の究極の体験は、いつもの日常の中で忘れてしまっている「生きている」実感体験ではないかと思います。
日本の、世界の人が求めている京都は、自身の日常にはない光景を観たり、日常にはない空間での食だったりの非日常体験です。私が求めるものは、京都のお寺の本堂、非日常の空間の中で、ひとり仏像と向き合うときの、「生」の実感です。
それが今や東京と変わらない人の数、混雑具合となってしまい、京都に求めるものが無くなっているのが現状なんでしょう。この10連休に京都へ行った東京の友人が、もはや京都は東京だったと言いましたが、この感想は友達に限らず、多くの人が感じているかもしれません。
観光公害とやらで、現状が京都市民の皆さんにとっても不快な日常となると、誰もハッピーでないマイナススパイラルです。ここ数年、このような状況が続くことが予想されますが、なんとかしないといかんなあ。遺憾だなあ。
話変わって、GWが過ぎると、ここ与謝野は田植えのシーズンに入ります。最近は、町の国道を走っていると稲を積んだゆっくり走るトラクターに何台も遭遇しますし、水が張られた田んぼの面積が増えてきたことがわかります。コウノトリも見られる様になりました。
この季節の大江山は、芽吹き始めた木々のなんともみずみずしい黄緑と古木の緑のコントラストが素晴らしく。天候のいい日も多く、太陽の光を浴びた大江山は、新緑感のテッパンです。まさに、この町にとっての非日常です。
少子高齢化、若者流出が進む年取ったこの町に、初々しさや若さ、活力を感じさせてくれます。ユーミンの「目にうつる全てのことはメッセージ」ほんとそんな気分なりますね。
生を感じ、感動する季節です。
ギリヤーク尼崎さんと同じ。人も植物も発する「生」のメッセージは、強く優しく美しく。
ヨサヲさま
ようやく「令和」も落ち着いてきましたね。連休中も、出掛けた先には多くの人が働いていて、家で宅配を頼めばすぐに運んでくれるドライバーもいて、世の中の休みは均等でないな、と感じました。休暇の恩恵、もっと行き渡ってほしいな。メディアもそろそろ、「長期休暇はヨーロッパへ」的な空港コメントや、ついでにいえば「官公庁のボーナスいくら!」的な定番風物モノは見直した方がいい。そんな人ばかりじゃないですよね。
私もヨサヲさんが提案されているように、中小や自営業でも設定しやすい中規模の休暇を増やし、地域の魅力を発見する旅行は大賛成!地図を広げて「このあたり未踏だな」「ここらも米がうまそうだ」と、地元観光協会のHPを参考にあちこち出掛けたいです。
京都に住んでいうのも何ですが、日本のみなさん、もっと有名観光地以外のすてきな場所、探しましょうよ!
そう、10連休の京都は壮絶な混みっぷりでした。
知人が仕事でバスに乗車。とたんに「しまった」と思ったそうです。バスは仕事先の美術館へ至るまでに金閣寺脇を通るのです。懸念は的中。まず、大通りから金閣寺への取り付け道路に入る交差点で約20分、さらに、駐車場待ちの車が道を塞いで立ち往生し、数百mを進むのに30分。車内では「降りたい」という声もあがったそうです。
そりゃ金ぴかの建物は珍品ですが、薫風を感じてリフレッシュできる休暇の目的地はもっと他にあるはずです。
さて、私が強くお勧めする京都市内の連休中のイベントは、長い列を並ばねばならない有名観光地や非公開寺院の文化財公開ではなく、円山公園の野外公演です。「最後の大道芸人」ギリヤーク尼崎さんが毎年5月初旬、京都で踊るのです。88歳と高齢で正直年々辛そうですが、亡き母親や災害・事件の被害者を悼んで踊る「念仏じょんがら」は鬼気迫る、まさに生ける伝説。地元はもちろん全国からファンが集まり、「今年も見られた」と生き仏を見るような異様な熱気に包まれます。
来年はぜひ、ヨサヲさんも。薫風の中の長老アングラ、見に来てください。渋い!