こんにちは、シーラです。今回は丹後を訪れた所感について書きたいと思います。
私が初めて丹後に来たのは約10年前のことで、着物のファッションショーに参加するためでした。その時はあいにく地域を観光する時間が全くなく、そこがどんな印象だったかも忘れてしまっていました。
今年2019年の夏のはじめに、丹後に招待され、初めて地域の名所を観光したり、土地の歴史や着物との関連を学ぶことができました。
この旅で、私は東京から京都駅を経由して天橋立へ向かう列車に乗りました。
天橋立は日本三景の一つと言われますが、まさにその通りだと思いました。松の生えた美しい砂州で、湾をまたぐ美しい自然な橋となっており、伝説として天から下った橋だと考えられています。
丘陵は密に森林で覆われ、青い海と緑の陸は帯状の白い砂州で分かれています。
そこから海沿いの旅を続け、私は伊根に着きました。
ここは住居が舟小屋の上に建てられた漁村で、人々は文字通り水上で暮らしています。帯状の村で、昔の時代の魅力や素朴さは今もなお何一つとして失われていません。
小さな木造の建物が海岸に雑然と寄せ集まり、家々の片側は海の方へ、反対側は狭い通りへ出るようになっています。ここでは漁業が生活様式になっています。
内陸の方へ少し車で行くと、与謝野の農業地帯があります。青々と緑が茂り、とても肥沃な土地です。
ここでは江戸時代から絹の着物や帯の織物、染め物が多くの人々の生活手段でした。主として家族規模の事業者がまだ織機を動かしており、着物産業用の絹織物を作っています。
近年では中国やブラジルから大量に絹が輸入されていますが、集約的な織りや染めの作業は丹後でなされています。
個々の職人が厳選した植物の染料で絹を染めたり、手織りばたで糸を織り、複雑なジャガード織は織物工房で着物や帯用にデザインされて織られています。
これらは日本の他の地域でも行われていますが、ここで働く人々は、芸術面、デザイン面両方のスキルだけでなく、技術やエンジニアリングの知識にも熟達しています。
また、著名な建物はかつて栄えた生糸ちりめん商家、旧尾藤家住宅にも訪れました。地元の産物が集まり京都へ輸送されていたちりめん街道沿いに位置しています。
私は最近、イギリスにある巨大な5階建ての紡績工場を訪れました。
そこは産業革命時代に建てられたとても大規模なもので、当時人々は機械の奴隷の様になっていました。長時間休みなく働き、スラム街に住みました。
織物用の綿は奴隷を売って購入されました。その印象深い工場には苦難と労苦の歴史が隠されています。
それに比べると、丹後には何かすがすがしいものがあります。それはおそらく産業の規模や周りの自然のためでしょう。
ここには土地や海・人々の間に、また科学、農業、芸術との間に調和があります。確かにこれは繊細な調和ですが、将来もこのまま残っていくでしょう。
歴史的にも現代的にも着物にとって非常に意味のある、この魅力的で美しい場所をもっと知ることを楽しみにしています。