見も聞きも 涙ぐまれて 帰るにも
心ぞ残る 与謝のふるさと
見も聞きも 涙ぐまれて 帰るにも
心ぞ残る 与謝(よざ)のふるさと 与謝野礼厳(よさのれいごん)
与謝野鉄幹の父として名高い与謝野町出身の僧侶歌人・与謝野礼厳の作品。
「明治25年の春、久しくまからざりし丹後國の与謝に下りて」と自身の前書きがあり、当地で詠まれた歌とわかります。
生れ故郷の与謝の里にしばらくぶりに戻ってみれば、
何を見、何を聞いてもすべてがなつかしく、溢れ出す望郷の涙を禁じえない。
今となってはこの地を離れ、遠き土地に居を構え枕を置けども、
やはり心を残しているこの与謝こそ、私のふるさとなのだなあ…
当時69歳の礼厳はこの地で過ごした少年時代に思いを馳せ、何に涙したのでしょうか。
故郷への切なる思いにみちみちているような歌です。
与謝野礼厳は丹後國温江村(現在の与謝野町温江)の細見家の次男として、文政6年(1823)に生まれました。幼いころより出家し与謝野町加悦の浄福寺で修行し、京都の西本願寺で得度した礼厳は、生まれの地にちなんで「与謝野」姓を名乗るようになります。幕末には勤皇討幕運動に貢献し、明治維新後は療病院や鉱泉場の開設など、各種の公益事業に従事しました。
歌を好んだ礼厳は1万7千百余首にものぼる歌稿を残しており、のちに斎藤茂吉は「明治初期に出た特色のある歌人の一人」として高く評価しています。
明治25年春に当地に帰った折には、上の歌のほかにも生家のある温江の里を次のように詠んでいます。
「二度は 越じとおもへば ふる里の 温江のさとの なつかしきかな」
(ふたたびは こえじとおもへば ふるさとの あつえのさとの なつかしきかな)
明治31年に75歳で亡くなった礼厳は、その生前の功績により、大正6年には従五位に叙せられました。
「見も聞きも~」の歌は、加悦町(現与謝野町)が復刻した「礼厳法師歌集」に収録されています。
与謝野町の文学の発信拠点である「江山文庫」から徒歩15〜20分程度。親水公園の方面へ向かう道沿いに、ご紹介した歌碑があります。ここには農産物直売所があり、トイレ、自動販売機もあります。
【農産物直売所】与謝野町観光協会(道の駅シルクのまちかや内)9:00~17:00 年中無休(但し、年末年始のみ休業)
また付近には国の重要文化財でもある希少な蒸気機関車を展示している「加悦SL広場」があります。
親水公園の与謝蕪村句碑をスタート地点として、与謝野町観光協会前(よさの野菜の駅前)の与謝野礼厳歌碑、与謝野鉄幹歌碑、高浜虚子句碑、そして江山文庫を徒歩で散策すると、片道徒歩20〜25分程度。自然の空気を感じながらのウォーキングにいかがでしょうか。