はし立や 松を時雨の 越んとす
大内峠の句碑のうちでも特に古いものです。
はし立(だて)や 松を時雨の 越んとす 蝶夢(ちょうむ)
天橋立の松並木が秋の時雨に降り込められている。しかし雨雲の間には晴れ間が見えており、時雨は今まさに松の上を越えて吹き去ろうとしている。
丹後の秋の風物詩ともいえる不安定な天候「うらにし」、その真っ只中にある天橋立を詠んでいます。
作者の蝶夢(1732~1796)は江戸時代中期の僧侶で、与謝蕪村と同時代の京都に生きた俳人です。松尾芭蕉を顕彰しその作風を広めることに精力を注ぎ、一方で地方俳壇に積極的に活動の場を広げました。その活動先の一つが丹後であり、明和年間(1764~1771)に三度にわたってこの地を訪れています。
句碑には建立年月日や建立者の名前などは一切刻まれておらず、蝶夢がこの句を詠んだ年代も明らかではありません。
『岩滝町誌』には、橋立の時雨の風景を愛した蝶夢は時雨の句をたくさん作ったが会心の句がなかなか出来ず、ある日橋立から京都に帰る途上でようやくできたこの句を句碑にしたいと宮津の門人に手紙を送ったもののまもなく亡くなり、二十五年後に門人らが建立した、と記されています。
蝶夢の没年を基準として仮にこの記述に従うならば、句は寛政七年(1795~6)の作で、句碑の建立は文政三年(1820)ということになり、明和年間以降にもこの地を訪れていることになります。
ご紹介した句碑は、与謝野町岩滝地区にある大内峠、一字観公園内にある妙見宮の参道途中に静かに佇んでいます。
一字観公園に入る前、山道途中にある「長命いっぷく名水」付近から始まっている妙見宮参道をスタート地点として、階段を登っていくと左側にあります。参道の階段を登ると、所どころで見え隠れする日本三景 天橋立を楽しむことができます。
参道では木々のざわめきと鳥たちの声を聞きながら、おだやかな、かつ凛とした空気感を味わっていただけることでしょう。