男山の板列八幡神社の境内には、与謝野町ゆかりの歌人、与謝野鉄幹(寛)・晶子夫妻と、鉄幹の師でもあった歌人・国文学者の落合直文の三人の歌を刻んだ歌碑が残っています。
直文の歌が明治三十二年、鉄幹・晶子夫妻の歌が昭和五年と、歌の制作年代が異なります。
ふるさとのわが松島に比べ見む
朝霧晴れよ天の橋立 直文
現在の宮城県気仙沼市に生れた直文にとって松島は「ふるさとのわが松島」と呼ぶべき身近なものだったのでしょう。その松島と同じく日本三景に数えられる天橋立を前に、名勝比べでも思い付いたのでしょうか、朝霧を纏った橋立を早く見たいとはやる気持ちが表れています。
直文は明治二十六年短歌結社「浅香社」を結成し、近代短歌の革新に尽力しましたが、この浅香社に板列八幡神社宮司の毛呂清春が入門しており、彼の招きで直文はこの神社を訪れ、歌を詠んだのです。
そして、この浅香社の同門として清春が交流を深めたのが、与謝野鉄幹でした。
御柱(みはしら)に わが師の御名(みな)の 残るにも
ぬかづき申す 岩滝の宮 寛(鉄幹)
やはり毛呂清春との縁で昭和五年にこの神社を訪れた鉄幹、当時落合直文は既にこの世になく、けれども社の柱にその名を見出した時、あたかも師に再会したかのように社殿に頭を垂れた、と詠っています。
一方こちらは鉄幹に同行した晶子の歌。
海の気と 山の雫の 石濡(ぬ)るゝ
八幡(やわた)の神の 与謝の御社 晶子
橋立を見下ろす山中の社は阿蘇海の大気と山の雫とに洗われ、小さいながらも八幡の神の名にふさわしい静謐さを湛えていると詠っています。
三者三様の、板列八幡神社に対する思いが歌から伝わって来るようです。
この歌碑は清春が当地を離れた後、地元有志らの協力により昭和三十五年に建立されました。
板列八幡神社は与謝野町の最も北側に位置する「男山地区」内にある小規模な神社です。しかし、同神社では毎年5月1日に祭礼が行われることもあって地域の人々に愛されている神社です。非常に手入れが行き届いており、大規模な神社では味わうことのできない、独特の凛とした空気感を体験していただけます。
周辺は住宅地ですが車通りも少ない通りに入り口があり、静かなひとときを過ごしていただけることでしょう。
境内には大変立派な杉の木も見られるほか、男山地区の向こう側にある日本三景 天橋立の眺望もお楽しみいただけます。