都会から子どもたちが帰省するお盆も過ぎ、与謝野は再び静かに、でも少しさみしくなったかもしれません。孫たちのために売られていた大きなスイカも、一口大のパック入りに戻ると、スーパーの売り場も「夏感」がなくなりますね。
京都市内もまだまだ暑いけれど、ジリジリしていた太陽とセミの声の勢いは確実に衰えています。先週には「五山の送り火」も終わってしまい、切なさが止まりません。大勢でにぎやかに見上げる花火とは違い、送り火や精霊流しはひとりで、またはごく親しい人と静かに見つめたいものです。
毎年それなりに静かに過ごしてきた送り火ですが、7年前は様相が違いました。
覚えておられますか?東日本大震災の「被災マツ」問題。
陸前高田で被災した松でこしらえた薪を大文字で焚き上げる計画が、微量の放射性セシウムが検出されたため、見送られました。慌てた京都市が「安全な薪で実行する」としたものの、こちらも結局は中止。京都は全国から批判を浴びることになりました。元々は集落の氏子たちの宗教行事ですが、いまや夏の京都のビッグイベントとして観光客誘致に大いに利用されていますからね。反響はとんでもなく大きかったのです。
私は当時、観光関係の仕事をしていたため、職場には他府県からお怒りの電話が何本もかかってきました。その中で「普段は偉そうなくせに」「昔から京都は好かなかった」と言われたのが印象に残っています。
そう、実は京都を苦々しく思っている人は結構多い。それがこの事件を機に噴出している感じでした。「ヨソとは違いますえ」といった上から目線といい、小さなまちに観光客を呼ぶだけ呼んで大混雑の現状といい、他府県の方が怒る気持ちもわかるのです。
以来、送り火を迎えると、この経験を苦く思い出します。五山の地元の人たちも同じでしょう。あの年、被災地の松に書かれていた名前を彼らが護摩木に一つ一つ書き写しているのを見ました。地味な作業で余り知られていませんが、心に染みる光景でした。
送り火もそうですが、地元が受け継いできた素朴な宗教行事や風習が、観光イベント化している例は多いようです。信仰か観光か。今後も京都の課題だろうな、と思います。
ホップ、お褒め頂きありがとうございます!町の宝になればと思っています。
ご質問の件ですが、与謝野ビールは京都錦市場近くのスプリングバレーブルワリー京都で飲めます。お店は、町屋を改装した、いかにも京都らしい素敵な店構え。与謝野町産ホップのビールは「与謝野IPA」「京の初摘みホップ」の商品名で提供されています。毎日続くこのうだるような暑さ、グイっと飲んでしばしの清涼感を味わってください。
(ぜひ、ご友人と一緒に。私も飲んだことがないので感想聞かせてください。)
こちらでは、毎週土日ホップ摘みイベントが催され、全国のクラフトビールファンが集まって活気づいています。ミヤコさんもいかがですか。
それにしても写真の宇治金時、みごとですねえ。むちゃくちゃ美味しそうです!暑い京都で食べるかき氷、しかも宇治金時は格別でしょう。「宇治金時限定」かき氷を巡る京都夏の旅2日間とか、旅行商品化したら? ツアー特典は、並ばないですぐに食べられること。こんなツアーがあったら、きっと瞬殺完売!
今時期、こちらは店先にスイカが並びます。
小学生の頃、毎日の水泳訓練の後、スイカにかぶりついていました。井戸に漬けた大きなまん丸のスイカを6等分し、スイカを囲んで祖父母、両親、兄弟家族みんなでほうばっていました。スイカの食べ残しは、そのままカブトムシの餌に。半世紀前の日本中の夏の光景でしたね。ところが最近の都市部の子供たちは、スイカをよく知らない。核家族化が進み、マンション暮らしのファミリーには、大きなスイカは食べきれないし、冷蔵庫に入らない。地方は地方で、子供たちがいないお年寄り夫婦だけですから、大きなスイカはもっと食べきれない。だから、最近は角切りにした赤いところだけのスイカがフルーツパック=果物のように販売されています。
すっかりスイカも核家族化、少子高齢化の波をかぶりましたね。最近は小玉スイカが出回ってますが、もうふた回り小さくなれば、それこそフルーツ(果物)として、売れるでしょうに。スイカを眺めながら昭和を懐かしむ、そんな暑い夏のひとときです。
※そういえば、今年で平成がなくなるんだー。
スプリングバレーブルワリー京都(SVB KYOUTO)ホームページ
http://www.springvalleybrewery.jp/kyoto/