北野天満宮と言えば、大学受験の際に参拝して赤牛に触れた思い出が蘇ります。見事に惨敗=不合格でしたが。(笑)その後何度となく訪れましたが、「ずいき祭り」、全く知りませんでした。こうして崇められると、そりゃあ京ブランドになるやん。
万願寺唐辛子にしても海老芋にしても九条ねぎにしても、近隣以外の方にとっては、
京の都(=京都市)で採れたりっぱなお野菜、という認識です。そう、京野菜の京は、都がイメージされて、雅とか伝統とかのありがたみが増幅します。
東京の蕎麦屋では、万願寺唐辛子、九条ネギなどの京野菜料理に対して、今日たまたまありつけるあなたはなんと運のよいことか、ののりで薦められます。まるで公家様の食べ物の如く。思わず庶民を自覚した客は、なんとまあ幸運なことか、それじゃあと言って注文してしまいます。(特別な味でもなく高価なのに。)
恐るべし、京ブランド。
先日、東京のツーリズムEXPOジャパンという世界最大級の観光イベントに参加してきました。我々のブースは、「もうひとつの京都」すなわち京都(市)以外の京都の魅力の発信するブース。しかしながらお客様にとって、「もうひとつの京都」と言ってもピンとこなくて、よくわからないありさま。ほとんどのお客様の頭の中には、京都はひとつしかなく、京都は京都(市)。他の都道府県は市と都道府県が分離されているのだけど。どうしたことか、京都(府)に限っては、シンガポール状態。
北の方と言ってもたいていは上賀茂神社あたり、がんばって鞍馬。
一応全国区の認知と思われる天橋立や伊根も、京都と聞いて驚き(たぶん福井とか鳥取のイメージ)海があることにビックリされる。
京都は京都(市)だけ。すごくシンプル。京都というワードをつけて地域の知名度アップ、ブランド力強化を試みてきましたが、どうやら間違いかもしれません。
で、どうする?どうしよう?どうしたらいいですか?
奥の京都で、悩みが尽きません。観光シーズン到来というのに。
刈り取られた田んぼの脇で咲く彼岸花が、秋の空に映えています。新米収穫のたよりに、心躍ります。
京都市内も祭りの季節のまっただなか。神前には新米とともに、色とりどりの山の幸・里の幸が供えられています。写真は先月末、下鴨神社の観月祭です。台風の影響で中止した社寺(大覚寺など)もありますが、上賀茂、下鴨、北野、八坂など市内の主要な神社ではさまざまな行事がありました。
仲秋の名月は別名「芋名月」とも。その名の通り、秋野菜の走りである里芋や枝豆が舞殿に並べられ、観客と一緒に管弦を楽しんでいましたよ。おだんご、芋、豆はいずれも丸いので、「月を映す」さらに「ものごとを丸く収める」という意味もあるそうです。少々こじつけ気味ですが、良いことなので信じることにしましょう。
月見といえば、9月よりも10月中旬の「十三夜」の方が晴れる確率が高いうえ、空気も澄んでいるので、こちらを「栗名月」として愛でる地域も多いそうです。
北野天満宮では「ずいき祭り」(1〜5日)もにぎやかに開催中です。里芋の茎(ずいき)で屋根をふき、野菜や乾物でしつらえた御輿は、「ビバ収穫!」の喜びが爆発しています。「はんなり」な都人の発想ではない、プリミティブな躍動感。都の台所を支えた近郊農家の「どうや!」という誇りを感じる御輿です。ええなあ。
出仕しているのは「西ノ京の氏子」のみなさん。いまは西ノ京も「まちなか」感がありますが、祭りが始まった昔は田んぼや畑が広がり、都を支える「近郊の供給地」でした。京都市の西側(西院、西ノ京、大将軍)はもちろん、市の東側、私の実家がある左京や北区も、少し前まで田畑だらけでした。まち域が広がり、随分減りました。
それにしても、「京野菜」というブランドは、万願寺は舞鶴、えび芋は京田辺‥と昔から府内各地が主要産地なのに、「都っぽい」イメージに隠れて、あまり知られていないと思われませんか?もったいないです。怒れ、生産地!国内外にアピールする「キョウト」は京都市だけではつまらない。オール京都で、北から南の豊かさをもっと伝えてほしいですよね。