ヨサヲさま
「おふくろの味」「家の鍋」といえば、家族の思い出と合わさってノスタルジックで甘美な響きがあります。ただし、他人には「そんなにウマい?」だったり、ひどい時には「ありえん!」だったり。それがちょっとした争いの原因になったりします。
一方、全国各地のご当地鍋は間違いなく美味だと思いませんか? たとえ最初は意外な具材の組み合わせに驚いても、ひとくちで魅了されます。
私は旅行先で必ず「鍋セット」を探します。いまのお気に入りは青森の「せんべい汁」、岩手や山梨の「ほうとう」かな。もちろん、ご当地鍋は現地で食べるのが一番おいしい。でも、旅で出会った味を自宅で再現するのは楽しく、会話も弾みます。
ネット上の「ご当地鍋マップ」を見ると、京都市は「湯豆腐」「丸鍋」とありました。うーん、湯豆腐は果たして鍋料理でしょうか。まして、スッポンなんて価格がありえん!『美味しんぼ』にも載った有名店は「コースのみ1名2万4000円」だって。ご当地鍋は何より「親しみやすさ」が大切。具材も近くのスーパーで入手できることが必須条件でしょう。要するに京都の人は、湯豆腐も丸鍋も滅多に食べません。
京都市民の食習慣をめぐる誤解といえば、節分のこの時期は何と言っても「恵方巻」です。先日、東京の友人に「京都が発祥でしょう?」と尋ねられました。
もちろん、近所のコンビニやスーパーでは「今年は東北東!」と大きな看板があがっています。しかし結論からいえば、私の家で節分に巻寿司をほおばっていた記憶はありません。起源は諸説あり、どうやら大阪から広まった比較的新しい風習のようです。
節分の習慣として、追儺の鬼やらい(豆まき)をしたり、いわしの頭にヒイラギの枝を刺して玄関に掲げたりはしていました。さらに、実家は商家なので、いまでも節分の深夜、「立春大吉」の御札を店の恵方に貼るちょっとした儀式もあります。
巻寿司よりも、私はこの時期、工夫をこらしたお菓子が出るのが楽しみです。
デパ地下を歩き、鬼やお多福、福豆をモチーフにした和菓子を探します。ことし選んだのは、きんとんの赤鬼と上用まんじゅうのお多福さん。鬼の角はゴボウで、お多福は小さく紅をさしていました。
春の始まりとともに、色合いも柔らかな暖色に。小さな菓子に季節のエッセンスを宿らせる老舗の工夫には、いつも感心しきりです。
ミヤコさま
今日は今年初めての積雪となりました。ずっと曇り日や雨の日が続いていましたが、ようやくに雪が降り少し屋根や路上に積もりました。うっすら薄化粧された大江山が、なんとも魅力的です。イノシシパワーで元気な日々を過ごしておりますが、これからは雪かきにそのエネルギーを注ぐことになることでしょう。
店頭には、白菜やキャベツといった葉物が並びます。例年1月はなかなか野菜が揃わないのですが、今年は寒さの訪れが少し遅く、葉物が豊富です。
今日のような寒い雪の日は、鍋。豚肉と新鮮な白菜をたっぷり入れて「フーフー」しながら食らいます。最後の締めは、正月から食べ続けているお餅を。体は温ったまるし、健康にもよくて。ザ・冬の食といったところでしょうか。
最近はネットでさまざまな鍋料理、レシピを手軽に見ることもできます。流行りのインスタ映えを意識した鍋も驚くほどの数、びっくりします。私が子供の頃は、「我が家の鍋」がありました。各々の家庭の鍋が微妙に違っていて。肉は豚?鳥?春菊がはいる?などなど。出汁にしても、母親が舌の経験値のみで作り上げる味でした。だから、出汁も家庭によって様々。
今やスーパーに行けば出汁のバリエーションがなんと豊富なことか。選ぶのに迷います。ふと、日本の家庭のスタンダードが判らなくなります。「おふくろの舌」「おかあちゃんの手間」など無用となりました。今風に言えば「ママのレシピ」でしょうが、それもない。正しくは、今日の「ママの選択」ですね。ある時はパパの選択だったり。
いつの間にか、鍋は誰もが気楽に選ぶコンビニエントな味となりました。
こんな時代だからこそ、「○○さんの味」「○○氏の料理」への興味や関心、あこがれが高まります。京都で、腕利きの料理人の店が超人気になるのもわかります。今の日本の家庭では味の幅、バリエーションがどれだけ豊富なことか。それを超える味や料理はなかなか見つけるのが難しい。食べたことのない、極めつきの味や料理が、狭い京都市に密集しています。
そりゃ京都に人が溢れかえるわ。納得がいきます。(笑)
ミヤコさん、今度大根、白菜送ります!