ずいぶん秋らしくなってきました。朝夕も少しひんやりとする日々で、Tシャツだけでは寒く感じる日も増えました。こちらは、稲刈りが終盤を迎え、黄金色が稲刈り後の土色に変わってきています。店頭にも新米が並ぶようになりました。
土鍋、いいですねえ。私も買おうと思って調べたら、いっぱいあるんですね、土鍋の種類。どれで炊いたら美味しいかわからなくなります。でも、土鍋で炊いたご飯であることでOKですよね。近々購入します!
さて、新米の季節もあって、興味本位に新米神事について調べてみました。まず、神嘗祭・・・か・ん・な・め・さ・い と読むんですね。神嘗祭は毎年10月17日。伊勢神宮きっての大行事で、天照大御神にその年の初穂を奉納する儀式。伊勢神宮にとって正月でもあり、この祭りを機に装束などを一新することもこの祭りの特徴のようです。今では伊勢神宮だけでなく、出雲大社のような大きな神社でも行われているようで。ちなみに出雲大社では神宮遥拝といって、伊勢神宮に向かっての儀式があるそうです。(直接、出雲大社に聞いてみました!)
神嘗祭に対して、新嘗祭(にいなめさい)は、11月23日。弥生時代から行われてきた宮中行事で、天皇が国民を代表し、五穀豊穣、豊作を祈って全国の神々に感謝を捧げる日らしく。どちらの祭りも、お米をはじめとする穀物の収穫に感謝の意を込めるお祭りですね。
おっと、11月23日は国民の祝日「勤労感謝の日」。そもそも第二次世界大戦前には国の大祭日とされていたけれど、大戦後のGHQの政策によって天皇行事・国事行事から切り離さられる形で改められたものが、「勤労感謝の日」である、とWikiに記されてます。
いやあ、やっぱりお米は日本の「すべて」そして「そのもの」であることをあらためて実感します。パンとはわけが違うわ。感謝感謝。
与謝野は実りの秋、稲刈りも目の前ですね。
夏に訪れた東北でも、つくづくと「日本は米の国だなぁ」と感じました。三陸海岸沿いは震災から7年経ったいまも、防潮堤や宅地のかさ上げ工事が続いています。しかし、ほんの少し内陸に入ると、平野に黄金色の稲が頭を垂れていました。これらの田んぼも津波に襲われ、塩害もあったことでしょう。でも大地を覆うように米は実り、収穫を待っていました。
頼もしく思うと同時に、「この米、現代人はちゃんと食べ尽くせるのか」とも考えました。コメ離れと言われて久しく、その対策として、米粉パンや甘酒などもプチッとしたブームにはなったけれど、米の活用法としては微々たるものでしょう。
自然の猛威が年々高まり、あっという間に空港や港がダメになるこのごろ、次代に向けて今度こそ、お米を中心とした食生活をデザインし直した方がいいですよね。
ということで、私の秋は「ご飯強化月間」。米を食べまくっています。京都市内の雑貨店で新しい土鍋も購入しました。雑貨店の「ごはんコーナー」(写真)からも、お米への愛を感じます。私の周囲も、土鍋で炊く人が増えています。慣れると失敗もないし、楽しいです。
私がいま食べているのは、京都市近郊のある「道の駅」で買った昨年収穫の米なのですが、これがもう、虫がわきまくり!!蛾が混入していたらしく、米を洗うたびに小さな芋虫が浮くので難儀しています。対処法をネットで調べたところ、「日向で、新聞紙の上に米を広げましょう。逃げていきます」とあったので、やってみたけれど効果なし。
仕方ないので、まずふるいにかけ、残りを箸で1匹1匹つまみました。トホホ。でもまあ、虫が元気ということは安心安全の証だ、と思って、ぱくぱくいただいています。今年は話題の丹後のお米をいただけるのですか!心待ちにしています。
京都市内を見渡せば、残念ながら、やっぱり田んぼや畑は減ったなあ。少し以前は、猫の額ほどではあるけれど、「実りの秋」の風景が身近にありました。京都の社寺は、収穫を祝う祭シーズンの幕開けですが、お供えぐらいは「地産」にこだわって欲しいなあ。