与謝野町観光協会 与謝野日々是

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ヨサヲとミヤコの往復書簡 京都に憧れる与謝野のヨサヲ。与謝野に憧れる京都のミヤコ。往復する2つの想いは、ただの雑感? それとも…。
「ええとこどり」の「なんちゃって」へ物申す。 平成30年10月24日

ミヤコ様

 ノーベル賞の京大自慢は、そもそも日本人初の受賞者が湯川秀樹先生であったことが脈々と引き継がれていることが要因じゃないでしょうか。個人的に思うのは、コツコツ地道な研究の積上げの結果の受賞といかにも日本人らしいのですが、物理学や化学は我々には少しなじみが薄い。そして地味。(そりゃあ、すごいことなんでしょうが、)できれば我々庶民にわかりやすい分野の受賞があれば、きっと日本全体も盛り上がり方や日本の将来が少し変わる気がします。何度も候補に上がる村上春樹氏が受賞すれば、年々減少する本の販売数や若者の本離れに少しくらいブレーキがかかるでしょうし、どちらかというとサブカルの括りで語られるアニメやゲームも堂々と日本文化としてステイタスが上がるでしょう。初の私大卒の受賞者ということにもなりますし。モノづくり」の国ニッポンが、「ソフトづくり」の国ジャパンへと。期待したいなあ。

 京都の社寺も観光客が驚き感動するのは建築物。いわゆるハード的なもの。しかし本当の日本文化は目に見えない精神性だったりするもので。
こちらでは10月より「本格着物体験」という体験サービスを開始しました。
京都市の「ええとこどり」の着物レンタルと対極に位置づけられるサービスです。
京都の景観+着物姿、それはそれは観光客、特に訪日客にとってはテッパン体験。
けれど、ハンガーにかかる数十着から選んだポリエステル着物を気軽に羽織るのは、日本の和装体験、精神性の本質からはほど遠く、いっちゃえばコスプレ、仮装。なんちゃって日本人体験。安価で気軽に市バス1日乗車券を片手に(ポリ)着物姿で京都の地を徘徊できるサービスはいかにも京都市の「ええとこどり」ですね。

 「なんだかなあ」を超え「なんやねん?!」です。(笑)

 怒れ、生産地!は、井上さんの愛のお言葉ですが、まさにその心境。京都着物レンタルのアンチテーゼとしての「本格着物体験」です。
そのサービスの一番の売りは、着付けの先生による「正絹着物の着付け」体験。髪を結った後で、不自由で少々くるしい締め感を感じつつも、しなやかな正絹の素材感が体にとてもやさしくフィットします。

 着付け後は、着物姿での食事、お茶、風呂敷包みなどの所作体験が用意されています。

 体験してもらいたいのは、着物=和装所作=和装の精神性=日本の精神性の体験。
レンタルというカジュアルな言葉では伝わらないので、本格体験としました。
京都のレンタル(なんちゃって日本人)体験に対するちりめん生産地での本格(本物日本スピリット)体験。 怒る、生産地!です。(笑)

ヨサヲ
今は昔、京都のバンカラ 平成30年10月24日

ヨサヲさま。

 東京の「ツーリズムEXPOジャパン」での、「何だかなあ」かつ「何やねん、京都(市)!」との思い、想像できます。京都(市)の小ズルいところは、他府県の人たちの誤解をそのままに、「いいとこ取り」で澄ましているところ。まるで「海の京都の幸も、だってそもそも、都のもんでしょ?」的な感じ。京都(市)生まれ、京都(市)育ちの私にとっても、「何だかなあ」です。

 

 さらに、この秋は再び、京都(市)人を増長させる出来事が!そう、京都大学の本庶佑特別教授のノーベル医学・生理学賞受賞です。
 もちろん、ニュースは喜ばしい。先生は何年も前から「大本命」と言われてきたし、毎年動向を追ってきた地元紙の記者も祝意とともに、「ようやく(済んだ)」と安堵しているでしょう。
 とはいえ、受賞のたびに「京都ゆかり」の文字が躍るのが、私としては「何だかなあ」なのです。

京都では「東大=頭はいいが融通がきかない」「京大=頭がいい上、発想が個性的。大きな仕事を成し遂げる」と多くの人が自慢します。
 本庶先生は京都市生まれ京大出身なので、今回は確かに「生粋」なのですが、京都出身ではない人でも「どこかにゆかりポイントはないか」と探し、少しでもかすっていれば溜飲を下げる傾向があります。
 冷静にみると、日本人受賞者26人のうち、京大出身は東大より1人少ない7人。そこで、名大出身で、京大で数年間助手経験のある研究者らを加えて、「京大ゆかり、実にフタ桁!」と胸を張るのです。
 さらに、京大卒業後、そのまま京都で研究生活をした人が少ないのも気になるところ。

 加えて、「自由な学風」と言うものの、自由でバンカラな雰囲気は既に消えつつあります。名物だった「立て看板」も市条例違反として一斉撤去されました。東大路通に学祭や大学自治会のアピールが並ぶ風景、好きだったなあ。学問や芸術って、雑然とした混沌から生まれると思いませんか?
 雰囲気だけではなく、学問も実学寄りにシフトしているし、ここから傑物が現れるのでしょうか?

 これからの京都を思うならば、薄っぺらな褒め言葉に酔わず、足もとを見つめた方がいいとつくづく思うな。京都(市外)の方が、よっぽど豊かじゃないですか!

ミヤコ
与謝野町観光協会 会員企業
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