ヨサヲとミヤコの往復書簡 京都に憧れる与謝野のヨサヲ。与謝野に憧れる京都のミヤコ。往復する2つの想いは、ただの雑感? それとも…。
自然と稲 平成30年9月12日

日本中が、自然の脅威で相次ぐ災害に見舞われています。
高度に発達した文明社会もこの自然の猛威のまえに、為す術がありません。
デスクに向かってミヤコさんにこの書簡を書いている間も、日本中のあちらこちらで、救助作業や復旧作業が行われていることを想像すると、いたためられない気持ちになります。そして,正直なところ、こうして日常を過ごせる今の自分の環境をありがたく思います。毎日の当たり前の暮らし、普段通りの時間の経過がこんなにも貴重なこととはあまり考えてもみなかったことです。
ここしばらくのミヤコさんとのやり取りで、なんともタイムリーに自然と宗教を語り合ってきましたが、あらためて実感します。
やはり、自然はこの世で一番崇高なもので、先人たちが敬ってきた理由がわかります。
どんなに進化したデータ分析も、ある程度の予測はできるでしょうが、所詮過去の経験の蓄積からの予想であって、誰も未来を読むことなどできるわけありません。
2011年以降、地震津波予測など専門家と称する人たちが事あるごとに持論を講じますが、それさえ戯けのように感じてしまいます。そう、明日地震津波が起こっても何も不思議なことでないわけで。自然の力を読むことなど誰もできやしないでしょう。

そんな自然による環境変化の中でも、与謝野町の稲はしっかり育ち、稲刈りが始まりました。今年の初夏から続く極度の環境変化に耐え忍び、しっかり成長した稲が町中を夢の黄金色に変えています。これもまた、自然の力ですね。 自然の脅威に一番強いのは自然の力なんだと思うと、なんだか不思議な気持ちになります。もちろん、農家の皆さんの稲に対する愛情や努力があってこそですが。
そんな稲の育ちの経緯をまじかに見ていると、米に対する意識もまったく変わります。
今では、日常の食にさえならなくなってきた米、日本中の人が稲の成長を見て、あらためて日本、そして自然について考える時なのかもしれません。

ミヤコさん、新米送りますね。今年の米は、想いも味も格別です。

ヨサヲ
蚊が飛ぶ「二百十日」に祈りをこめて 平成30年9月05日

 都市部でもトンボがツイツイと飛んでいます。空が高くなって、風もひんやり‥と書き出そうかと思ったけれど、それは昨日のお話。きょうは再び、山の向こうにでっかい入道雲を見ました。朝も晩も相変わらず蒸しています。夏の厄介者の「蚊」も今夏は戸惑っているそうですね。気温が高すぎて活動できず、これからが「蚊」のシーズンとか。
 蚊といえば、地球上で最も人間を殺している生物なんですって!「わずらわしい」「かゆい」だけでなく、感染症を引き起こす脅威の存在。疫病退散を祈願して夏の前後にお祭りが多いのも、実は「蚊害」と関係していたりして・・。

 最近のヨサヲさんとのお便りのテーマ、信仰と観光、からなかなか離れられません。京都市内でも「観光で食べてる寺院」なんて、ひとにぎりです。かつて、古都税の対象になったのも、市内で1600寺のうちの約40カ所程度ですからね。大多数の社寺はいま檀家の数も減り、維持だけでも苦労続きでしょう。
 同じことは「お祭り」にも。有名どころといえば、上・下賀茂神社の葵祭、八坂神社の祇園祭、大文字保存会の送り火ぐらい?あとは人知れず(というか「観光客知れず」)脈々と細々と続けられている祭りがほとんどです。
 この一部の祭礼に乗っかって観光誘致にバンバンと利用する京都市だからこそ、東日本大震災の「大文字被災マツ騒動」の時は、もっと地元の人たちをフォローして矢面に立って欲しかったなあ。祭りを営む人は純粋な善意だけれど、いまや「素朴な善意」で動いちゃいけない「重責」が、地元にのしかかっている気がしました。

 震災と祭礼といえば、京都と東北には深いつながりがあると聞きました。八坂神社と同じスサノオノミコトをまつる祇園社が東北に特に多く、地元の鹿踊りや獅子舞と都で仕入れた祇園囃子が融合して、ユニークな「おらが村の祇園祭」になっているそうです。
 夏の終わりに被災地を訪ねたのですが、震災復興、まだまだの印象でした。例えば宮城県南三陸町。かさ上げ途上のだだっ広い更地に囲まれて、43人が亡くなった防災庁舎の遺構が小さく見えました(写真)
 今年は既に20個が襲来したけれど、二百十日の台風シーズンはこれからが本番。各地の夏の祭礼の祈り、天に届いてほしいです。

ミヤコ