ヨサヲとミヤコの往復書簡 京都に憧れる与謝野のヨサヲ。与謝野に憧れる京都のミヤコ。往復する2つの想いは、ただの雑感? それとも…。
土鍋ほくほく、食べるぞ、ご飯。 平成30年9月19日

与謝野は実りの秋、稲刈りも目の前ですね。
 夏に訪れた東北でも、つくづくと「日本は米の国だなぁ」と感じました。三陸海岸沿いは震災から7年経ったいまも、防潮堤や宅地のかさ上げ工事が続いています。しかし、ほんの少し内陸に入ると、平野に黄金色の稲が頭を垂れていました。これらの田んぼも津波に襲われ、塩害もあったことでしょう。でも大地を覆うように米は実り、収穫を待っていました。
 頼もしく思うと同時に、「この米、現代人はちゃんと食べ尽くせるのか」とも考えました。コメ離れと言われて久しく、その対策として、米粉パンや甘酒などもプチッとしたブームにはなったけれど、米の活用法としては微々たるものでしょう。
 自然の猛威が年々高まり、あっという間に空港や港がダメになるこのごろ、次代に向けて今度こそ、お米を中心とした食生活をデザインし直した方がいいですよね。

 ということで、私の秋は「ご飯強化月間」。米を食べまくっています。京都市内の雑貨店で新しい土鍋も購入しました。雑貨店の「ごはんコーナー」(写真)からも、お米への愛を感じます。私の周囲も、土鍋で炊く人が増えています。慣れると失敗もないし、楽しいです。
 私がいま食べているのは、京都市近郊のある「道の駅」で買った昨年収穫の米なのですが、これがもう、虫がわきまくり!!蛾が混入していたらしく、米を洗うたびに小さな芋虫が浮くので難儀しています。対処法をネットで調べたところ、「日向で、新聞紙の上に米を広げましょう。逃げていきます」とあったので、やってみたけれど効果なし。
 仕方ないので、まずふるいにかけ、残りを箸で1匹1匹つまみました。トホホ。でもまあ、虫が元気ということは安心安全の証だ、と思って、ぱくぱくいただいています。今年は話題の丹後のお米をいただけるのですか!心待ちにしています。

 京都市内を見渡せば、残念ながら、やっぱり田んぼや畑は減ったなあ。少し以前は、猫の額ほどではあるけれど、「実りの秋」の風景が身近にありました。京都の社寺は、収穫を祝う祭シーズンの幕開けですが、お供えぐらいは「地産」にこだわって欲しいなあ。

ミヤコ
自然と稲 平成30年9月12日

日本中が、自然の脅威で相次ぐ災害に見舞われています。
高度に発達した文明社会もこの自然の猛威のまえに、為す術がありません。
デスクに向かってミヤコさんにこの書簡を書いている間も、日本中のあちらこちらで、救助作業や復旧作業が行われていることを想像すると、いたためられない気持ちになります。そして,正直なところ、こうして日常を過ごせる今の自分の環境をありがたく思います。毎日の当たり前の暮らし、普段通りの時間の経過がこんなにも貴重なこととはあまり考えてもみなかったことです。
ここしばらくのミヤコさんとのやり取りで、なんともタイムリーに自然と宗教を語り合ってきましたが、あらためて実感します。
やはり、自然はこの世で一番崇高なもので、先人たちが敬ってきた理由がわかります。
どんなに進化したデータ分析も、ある程度の予測はできるでしょうが、所詮過去の経験の蓄積からの予想であって、誰も未来を読むことなどできるわけありません。
2011年以降、地震津波予測など専門家と称する人たちが事あるごとに持論を講じますが、それさえ戯けのように感じてしまいます。そう、明日地震津波が起こっても何も不思議なことでないわけで。自然の力を読むことなど誰もできやしないでしょう。

そんな自然による環境変化の中でも、与謝野町の稲はしっかり育ち、稲刈りが始まりました。今年の初夏から続く極度の環境変化に耐え忍び、しっかり成長した稲が町中を夢の黄金色に変えています。これもまた、自然の力ですね。 自然の脅威に一番強いのは自然の力なんだと思うと、なんだか不思議な気持ちになります。もちろん、農家の皆さんの稲に対する愛情や努力があってこそですが。
そんな稲の育ちの経緯をまじかに見ていると、米に対する意識もまったく変わります。
今では、日常の食にさえならなくなってきた米、日本中の人が稲の成長を見て、あらためて日本、そして自然について考える時なのかもしれません。

ミヤコさん、新米送りますね。今年の米は、想いも味も格別です。

ヨサヲ