「ちりめん」の産地、京都府丹後地方。京の都より北へ130キロ。都会の喧騒を離れ、現れるのは豊かな自然とタイムスリップしたかのような懐かしい街並み。日本海を望む「天橋立」「伊根」などの観光名所をもつ、海と山に囲まれた喉かな地域で丹後ちりめんは織り継がれてきました。
海と山、自然に恵まれた丹後地方には、秋から冬にかけて「うらにし」と呼ばれる季節風が吹き、土地に良質な水と適度な湿度をもたらします。この気候風土が、乾燥を嫌う絹糸を扱った機織り作業に適し、古来より盛んに絹織物が生産されてきました。
丹後ちりめんは、生地表面のシボと呼ばれる細やかな凸凹が最大の特徴。ちりめん(縮緬)とは経糸と緯糸が交互に織り込まれる平織りの絹織物で、経糸に八丁撚糸に代表される強い撚りをかけた生糸を使用し、製織後に精錬することによってその特徴であるシボが生み出されます。このシボが、絹織物の放つ華やかな光沢になんとも言えない奥行と独特のしなやかな風合いを与えるとともに、白生地を織ったのちに染色する「後染め」絹織物である丹後ちりめんはシボのために染めつけもよく、その発色も素晴らしいものがあり見る人々を魅了します。また、シボによって生地そのものがシワになりにくく、そのため着物にも非常に適した素材です。
優雅な表情を持ちながら機能性にも優れた丹後ちりめんの種類は非常に豊富で、経糸と緯糸の組み合わせにより何十種もあり、主力である紋ちりめんを中心に柄の種類においては定番のものだけでも1,000を優に超えるほど。
丹後地方は、現在においても日本最大の絹織物産地で、着物生地の約6割を生産、生糸の消費量は国内の3割以上を占めています。また時代に即した新しい取り組みも積極的に行われ、絹のみならずポリエステル、レーヨン、その他複合素材などを用いた新世代のちりめんも生産され、その用途は和装にとどまらず洋装やテキスタイルなど様々な分野に広がっています。
与謝野町も丹後ちりめん生産の中心地のひとつで、かつて丹後から京都への絹織物運搬のために結ばれた「ちりめん街道」には、明治時代かた続く織物工場に加え、昭和にいたる各時代の商家、銀行、医院などが現在でも建ち並び、丹後と京都市内を結ぶ物流・情報の中心的交流拠点として隆盛を極めた面影を今に伝えます。特に旧尾藤家住宅は、「ちりめん街道」の象徴的存在となる商家の邸宅です。
1865年(慶応元年)母屋が完成、その後増改築がなされ、1941年(昭和16年)現在の形になりました。家主の尾藤正蔵は、丹後ちりめんを京阪神に輸送する目的として開業した加悦鉄道の社長や加悦町町長を務めるなど、町の産業振興に尽力しながら、自身の念願であった自宅の洋風建築に着手しました。
1階が和、2階は洋の和洋折衷の建物や奥座敷、中庭は入口外観からは想像できない空間が広がります。
○2006年(平成18年)「ちりめん街道」は国の重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に指定されました。
○2002年(平成14年)「尾藤家住宅」は平成14年京都府指定有形文化財に指定されました。
○2017年(平成29年)「ちりめん街道・旧尾藤家」は”300年を紡ぐ絹が織りなす丹後ちりめん回廊”として日本遺産に認定されました。
文化財保護法で、城下町・宿場町・門前町・寺内町・港町・農村・漁村などの伝統的建造物群およびこれと一体をなして歴史的風致を形成している環境を保存するために市町村が定める地区。文部科学大臣が市町村の申し出に基づき、その価値が特に高いものを重伝建=重要伝統的建造物群保存地区として選定する。2018年(平成30年)8月現在、日本全国で43道府県98市町村の118地区が選定されている。
日本遺産について地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定。ストーリーが地域の歴史的特徴や特色を示す興味深さ・新鮮さ等を持ち、日本の魅力になっていること、地域づくりの将来像とその実現にむけた具体的な方針が示されていること、日本遺産を通じた地域活性化推進が可能となる体制が整備されていること等が認定基準となっています。